「普通、航海の後の1年くらいは、クルーも航海士も航海の話などしたくなくなるものなんだ。あれほどつらい経験は、しばらく思い出したくもないんだろうね。でも、今回は違った。みんな、ハワイに帰ると共に次の航海の話を始めているんだから」と、7月のシンポジウムで再来日したナイノア・トンプソンはうれしそうに語り始めた。そして「ホントはまだ話すつもりは無かったんだけど」と前置きしながら、〈ホクレア〉が再び西に向かい、そのまま地球を1周する計画(と言うよりも、この段階では「希望」に過ぎないんだろうけど)を明かした。「きっと、違う文化圏に行ったということが全員の刺激になったんだと思う。こういう航海のありかたもいいね、という具合に」
〈ホクレア〉には次の目標が見えてしまったのだ。そんなカネがどこにある、なんて一笑に付すのは簡単なことだけど、彼らがやる気ならできる限りの応援をしようと思うのが縁あった者の務めなのではないだろうか。今のところ語られているコースはハワイ〜ニュージーランド〜オーストラリアを左回りに〜東南アジア〜インド〜(アラブのあたりは不明)〜紅海〜スエズ運河〜コルシカ島(ここはナイノアの遠い祖先が住んだ土地だという)〜ジブラルタル海峡〜ダカールなど、アフリカ西海岸〜ブラジル〜カリブ海〜パナマ運河〜カリフォルニア〜ハワイ、という具合。 宇宙船は太陽系を離れて、いよいよまだ見ぬ大宇宙に向かうということなのかな。セイリング文化の根付いたヨーロッパの国々では、おそらく日本以上の国家的な歓迎を受けることもあると思う。しかし〈ホクレア・クルー〉が「冒険者」として称えられることはあっても、カヌーが島であり、地球であるという〈ホクレア〉のメッセージそのものが、果たして世界に通じるもんだろうか? この感覚は日本人には理解しやすかった。カヌーやクルーの姿を見るだけでメッセージが伝わる「島国的な以心伝心」が日本にはあった。しかし大陸の人たちにはまだまだ、地球が島であるなんて感覚は理解し難いんじゃないかと思えてならない。 だからこそ、やる価値があるんだけどね。船が侵略の道具であった国々に対して、カヌーが生存の道具であった太平洋からのメッセージ。ハワイという小さな島が世界を変えてしまう可能性だってある以上、僕はぜひともこの航海を応援したいと思っている。 #
by west2723
| 2007-09-11 02:21
| ホクレア
一昨年の夏、「今〈ホクレア〉が来てもヤバイ! まだほとんどの日本人は〈ホクレア〉なんて知らないし、このままでは出迎えさえできないかもしれない」と思う人たちで集まったことがある。ネットやクチコミで繋がり始めた〈ホクレア〉を応援しようという人たちが、初めてミーティングを持ったのだ。メンバーは大学の先生や博物館の人や海関係のジャーナリストや冒険家などなど、つまりシゴトではあまり会う機会のない人たちだった。〈ホクレア〉は実に様々な分野の人を必要とする、つまり多様性に富んだ集団を作り出すものだけど、この時から原型はできあがりつつあったようだ。
多様性があるだけにカバーできるフィールドは広がる。しかも皆さんそれぞれの分野で充分に知られた方々なので〈ホクレア〉を盛り上げて行く上で心強いメンバーだと思った。そして要所要所に海のプロが加わってくれればいい。たとえば内田正洋さんが各寄港地の仲間に声をかけてくれて、西村一広さんのような人が〈ホクレア〉を各寄港地にエスコートしてくれれば組織の概略はできあがる、などという具体的かつ楽観的プランを勝手に思い描いてたもんだった。 しかし、あの頃はクルーが延べ200人にもなるとは誰も想像していなかった。伴走艇には強力なエンジンが必要なことも、〈ホクレア〉を船積みで帰すことも、そして伴走艇は自走で帰ることも、誰も知らなかった。そして肝心の〈ホクレア〉も、日本の海域に入ることがどれほど危険なことかをまるで知らなかった。もしもあの組織のままで来航直前にこんな事実を突きつけられたとして、いったい誰がリーダーシップを執ったのだろう? クルー200人分のエアの手配は? 宿の手配は? 各寄港地への連絡は? 地元漁師さんへの協力要請は? 各実行委員会の横の連絡は? そして時々刻々変わり続けるスケジュールへの対応は? いったい誰が統括して行ったのだろう? などなど、今思えば怖くなることばかり。いかに〈ホクレア〉をめぐる各分野での専門家が集まったにせよ、イベント全体を展開するノウハウやカネがあるわけではない。仮にあったとしても、2カ月以上もの間、いったい何人の職業を持つオトナがシゴトを休んで〈ホクレア〉につき合えただろう。結果は1つしかない。うまく行ったんだからそれがすべてだとも言えるけど、僕は今後のためにも、このような善意の集まりには特有の「甘さ」があることを認識しておいた方がいいと思う。 それは「自分のフィールドで善意を払えばそれでいい、これ以上のシゴトはその道の専門家に任せよう」という感覚。その結果、善意は払うけど最後まで「誰も」責任を負わないという事態が起こる。たとえばビーチクリーンイベントにやって来て一生懸命ゴミを拾っても、集積所に置いて帰ってしまうだけではビーチクリーンにはならない。集まったゴミを焼却場に運び、分別や消却にかかる費用を払って初めてシゴトは終わるのだ。 ましてこれはゴミを集める程度のボランティアではない。日本の海や日本の法律がまったく経験したことのない大きさのカヌーが命がけでやって来て、傷ひとつつけずにハワイに帰さなくてはならないという前代未聞のイベントなのだ。善意だけではとても太刀打ちできる相手ではなかった。これは今後いろいろ始まるであろう〈ホクレア〉後の活動にとって、非常にいい教訓として是非ともココロに留めておかなくてはならないはずだ。 結局、今回多くの人々が〈ホクレア〉に見た理想も未来も夢も勇気も、ハワイ州観光局の人たちの登場がなければ何も見ることはできなかったはずだ。そして観光局の人たちは、多少の罵声は覚悟しながらも、ココロを鬼にしてスケジュールを遂行しなくては、とてもじゃないけどあれほど気まぐれな集団を無事に横浜まで到着させることなんてできなかった。にも関わらず、きっと彼らも、例の「ワカッテナイ」攻撃に晒されたんだろうなぁ、と想像する。 「海のこと、ナンニモワカッテナイ」「クルーの待遇がナッテナイ」「スケジュールのことしか考えてイナイ」などなど。しかし、たとえワカッテナイとしても、それをサポートできる海の専門家が集まっていたんだから、お互いの役割をキッチリと分けて、海の安全は彼らに任せ、観光局の人たちはスケジュールの番人に徹したことが日本航海成功の大きな要因だったと思っている。いちいちみんなの言うことを聞いていたら、次に進めないでしょう? あの混沌とした現場を見ながら、僕はいつもそう思っていた。何をやるにしても他人が一生懸命やっていることに対してモンクしか言えないヤツは必ずいるものだけど、そういうヤツは〈ホクレア〉の前では何の役にも立たない。これは誰も経験したことの無いイベントなんだから、気づいた人が動く以外に何も解決しないのだ。 一昨年の夏、日本航海の行く末を心配して集まったメンバーは、そのまま東京海洋大学でのシンポジウムの主催者となって再会できた。もしかすると、あのシンポジウムは彼らや僕にとって最良の結末だったのではないだろうか。いちばん美味しいところをいただいちゃったのかもしれない。そしてシンポジウムの参加者の中には、すでにシゴトを離れ、リラックスした表情のハワイ州観光局の人たちがいた。あの日の彼らは、ようやく観客の一人として〈ホクレア〉の物語を楽しんでいるという雰囲気だった。ココロの専門家とビジネスの専門家、そして〈ホクレア〉を無事にエスコートした海の専門家、共に日本航海を支えた人たちが互いを補い合い、大きな対立を残すことなく、こうして最後に集まれたことが僕には何よりうれしかった。ささやかなことかもしれないけど、こんなところにも日本航海の成功を感じたのだ。 #
by west2723
| 2007-09-08 23:42
| ホクレア
雑誌は出したものの、雑誌の看板を離れれば僕なんてただの石ころで、〈ホクレア〉を歓迎するにあたっては小さな細胞に過ぎない。そんな細胞もネットによってニューロンを伸ばし、組織のようなものを作り始めていた。器官というよりも組織。脳になるには最低でも100億を超える細胞が必要らしいけど、僕の場合は大腿四頭筋の1本分くらいにはなれたのかもしれない。何たって、全国のシーカヤッカーやセーラー、つまり海を「ワカッテル」人たちが集まってくれていた。心強かった。
そんなしがない筋線維のもとに、1通のメールが届いたのは2005年の初夏。差出人はハワイの日本総領事とあった。心当たりはなかったけれど、その丁寧な文面を読みながら、僕は驚いて5分後にはフリーズしていた。曰く「日本のどなたにお知らせしていいかわからず、とりあえず〈ホクレア〉の雑誌を出版した方にお送りします」「〈ホクレア〉の日本航海が決まり、詳細は近日中にPVSから発表されます。内容は添付書類の通りです」「この書類は、寄港にあたっての協力を仰ぐ各地方自治体の知事さま宛にもお送りしています」「出航の予定は、まずミクロネシアに向けて12月末。日本には3月到着を目標にしています」 ガセでないことはすぐにわかった。PVSに近い人に電話で問い合わせてみると、決まったかどうかはわからないけど、そんな話はいつも出ている、という返事。「具体的に何か急ぐ理由でもあるの?」「少なくともマウ・カヌーを届けなくてはならないでしょう。マウもご高齢なので、急がなくてはならないでしょうね。台風シーズンを避けなくてはならないから、ハワイを出るチャンスは年末しかないらしい」。決まったわけではないと思う。決まったかどうかは、日本に向けて出航する時までわからない。そんなニュアンスが伝わってくる。それじゃあ出迎えの準備なんてできっこないよなぁ。 僕はマウ・カヌー建造開始のセレモニーには出席していたので、いよいよできるんだなと思った(実際に完成したのは今年の1月だったんだけどさ!)。 「カヌーの名前は〈木から落ちたパンの実〉だったかな。つまり誰のものでもないってこと」 その名前を聞いた時に、この計画はホンモノなのだと直感した。彼らの話の中に何かキラリと光る具体的なものがあれば、その計画は着実に進んでいることを意味すると思ったのだ。 ヤバイ。本当に〈ホクレア〉が日本に来てしまう。 #
by west2723
| 2007-09-05 03:00
| ホクレア
ポップな人に向かって〈ホクレア〉の情報を発信したいと思った。ではこの場合、ポップとは何か?必ずしも音楽やファッションや芸能などなど、流行やワカモノの趣味趣向に通じていることとイコールではない。何と言いますか……好奇心が旺盛で、偏見が無く、面白がることがうまく、行動力があり、洞察力があり、周囲に対する影響力もあり、しかし商売っ気は無く、というようなイメージ。
たとえば、先日お目にかかった篠遠喜彦先生も、僕にとってはポップスターそのものなのだ。「他人の掘った穴を再び掘って、いったい何が面白いんだ?」という篠遠先生のコメント、カッコよかったなぁ。「誰も行こうとしない航路を風だけで渡った〈ホクレア〉は、ホンモノだよ」としみじみ語ってくれた大島商船の藤井先生もシブかったなぁ。 雑誌が出て、事態はいくぶん好転してきた。普段は決してハワイっぽくないような、意外な人からも「読んだよ」と声をかけられた。映画『ガイア・シンフォニー』のお陰だと思うけど、女性読者が多いらしいこともわかってきた。男ばかりで〈ホクレア号〉について語ってもポップな感じにはなりそうにないし、何より雰囲気がサツバツとしてくるので、これはホントにうれしいことだった。 ただし僕はそれまで『ガイア・シンフォニー』さえ観たことがなかったので、急いで「第3番」を観に行った。驚いたなぁ。日本で最初に〈ホクレア〉を紹介した映像が、いきなり空撮だもんな。あの空から見た〈ホクレア〉はホントに美しかった。そう言えば、『ガイア・シンフォニー』のDVDが単巻で発売されることになったらしい。うれしいです。5巻セットではちょいと高かったから。 他にも女優さん、歌手、ミュージシャンという、ポップのプロたちが読んでくれていることもわかった。Webを検索してみると、かなり多くの人がブログで紹介してくれていた。そして、世の中にはセンスの通じる人たちって多いんだなぁ、と感動した。そうです。ちょうどその頃、ブログを始める人が増えてきたのだった。ということで、僕も調子に乗ってこのブログを始めたんだけど、続けるのがタイヘンだった。とは言え、あの雑誌は二度と出せないかもしれないんだから、忘れられないうちに読んでくれたみんなと繋がって〈ホクレア〉の来航に備えておく必要があると思ったのだ。(続く) #
by west2723
| 2007-09-03 22:10
| ホクレア
海洋大のシンポジウムに集まった人たちを眺めながら、壇上の人も客席に集まった人たちも、みんな穏やかでいい雰囲気だなぁ、と思っていた。集まった顔ぶれは誰もが言う通り多様であり、それぞれがお互いを補完しながらモノゴトを進めて行く、創造的でありながらリラックスした雰囲気。学者さんがいて映画監督がいてアスリートがいてミュージシャンがいて雑誌編集者がいて旅行ライターがいてサイエンスライターがいてハワイ州観光局の人たちがいて子どもたちがいて体育の先生がいてハワイの有名な伝統航海士がいて、そして全員が同じテーマに沸き、同じ頂上を目指している。このような集まりを残してくれただけでも、〈ホクレア〉の日本航海は成功だったと思う。
〈ホクレア〉が日本に来るかもしれない、と聞いたのは5年くらい前だったかな? その頃、僕の回りに〈ホクレア〉を知る人などいなかった。みんなホノルルマラソンやサーフィンなどなどで年中ハワイに行っているのに、なぜ知らないんだろう? 思えば不思議なことだ。僕たちに与えられ、それがすべてだと思っている情報なんて、いかに偏ったものだったのか思い知らされたもんだった。 しかしまぁとにかく、日本の人たちに〈ホクレア〉の存在を知らせることから始めなくてはいけない。せっかく日本までやって来たのに、港で誰も出迎えていないんじゃマズイでしょう。もちろん今となってはこんな心配は杞憂だったわけで、僕あたりが何か行動を起こすまでもなく各寄港地とも想像をはるかに超えた、〈ホクレア・クルー〉でさえ驚くような歓迎があったわけだけど。 とにかく、その時の僕にできることは雑誌を出すことだった。テーマは「ハワイからこんな船が来るらしいんだけど、みんなどう思う?」というもの。スタッフはコンパクトに、たったの4名。日本からハワイに行くのは僕と、自称「海洋ジャーナリスト」氏の計2名、写真はハワイ在住の有名な写真家にお願いし、日本に長いこと住んでいたレジェンドサーファーにコーディネーションを頼む、という構成。身軽じゃないとこんな取材はムリだな、と思ったと同時に、あまりカネをかけられないという事情もあった。 同時に、僕はひとつのルールを作った。それは、この話をいわゆる「ハワイ通」だけのものにしたくないということだ。知り合いの中には「ハワイ通」やらフラの先生もいたりするんだけど、彼らにとってのハワイはすでに完結してしまっているのだ。「マナ」だの「オハナ」だのといきなり言われてもワケわかんないし、やがて「カヌーのこと考える前にフラの勉強した方がいいよ」、な〜んて話になってしまう。いちいち勉強している間に、〈ホクレア〉は日本に来ちゃうじゃん。 ワカッテナイ、という批判は、雑誌を作る前でも出した後でも、ずっと聞くことになった。「〜〜の本、読んでないわけ?」「オマエ、海のことワカッテナイ」「セイリングのこと、ワカッテナイ」「ハワイよりも、ミクロネシアの勉強が先だろう?」「航海カヌーのこと、もしかして全然ワカッテナイわけ?」もう、うんざりだった。だったらワカッテルあなたは今、いったい何をしているわけ?申し訳ないけど、彼らとの議論に時間を費やす余裕なんてなかった。 そんなこんなで、実は雑誌の取材で訪れたハワイは、初めてのハワイだったのだ。ワカッテナイのは当然だった。しかしとにかく始めなくてはならなかった。そんなヤツが、当時はまだ怪しいハワイアンとしか思っていなかったタイガー・エスペリ氏と一緒に、いちばんディープなハワイの中に入ってしまうなんて無謀といえば無謀だった。出てくるヤツ出てくるヤツ、み〜んな曙みたいに怖い顔してるんだから。 もちろん、怖い顔はしていても、いちどうち解ければホントにいいヤツばかりだった。僕は流暢な英語なんて使えないから、向こうはかえって一生懸命話してくれる。メシも食べさせてくれるしカヌーにも乗せてくれる。そしてある時ふと気づくんだけど、彼らは誰もが寡黙で礼儀正しい。たとえ貧しくても、仲間を家族を大切にする。挨拶がしっかりしている。なあんだ、僕が子どもの頃に見ていた日本のオトナと同じじゃないか。オトナとは、大きく強く、知恵があって優しい人たちだった。 ハワイがわかれば日本がわかる。きっとそうだ。〈ホクレア〉が日本に来ると言うことは、すなわち日本人が日本について考える機会になる。僕は確信しました。そして思ったわけです。この話は、まだハワイのことも〈ホクレア〉のことも全く知らないけれど、知ったら確実に動き出す人のために紹介するのだ。とは言えいちいち理由など説明しなくてもわかる人たちがいい。つまり、音楽やファッションを理解するように、直感的に〈ホクレア〉のメッセージを理解してくれる、ポップな人たちに向けて紹介するのだ。(続く) #
by west2723
| 2007-09-02 22:58
| 陸での話
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