〈ホクレア〉を率いる伝統航海術師、ナイノア・トンプソンを最初に海に連れ出したのは、カワノ・ヨシオという日系移民の牛乳配達員だった。
毎朝トンプソン家に牛乳を届けていたカワノ氏は、多忙だった両親の代わりに、たびたびナイノア少年を海に連れ出し、船の漕ぎ方や魚釣りを始めとする、海での過ごし方、海との接し方を教えた。さらに少年は、カワノ氏の生活を眺めながら、自然とうまく調和する日系人たちのライフスタイルにも強い感銘を受けて行ったと言う。 「風通しのいい日本家屋、自然の色彩に逆らわない調度品のひとつひとつ、枕のカタチひとつにさえも、僕はいつも驚いていた。そんなヨシの家に遊びに行くことが、僕にとっての大きな楽しみになっていたし、その後の僕の人生に大きな影響を与えたことは間違いないと思う」 いよいよ〈ホクレア〉が日本にやって来ることになり、当然のようにナイノアはヨシの故郷を訪ねたいと思うようになる。しかし困ったことに、カワノ氏のご先祖の出身地が誰にもわからなかったのだ。どうやら山口県の出身らしいということまではわかっていたものの、広い山口県のどこなのか、それが〈ホクレア〉を巡る最大の謎となっていた。周防大島にあるハワイ移民資料館の名簿の中にも、その名前は無い。 しかし、ハワイに多くの日系移民を輩出した周防大島の人たちが、島の誇りにかけて調査を開始。膨大な資料の中から、牛乳配達員、カワノ・ヨシオの名前を発見したのは、〈ホクレア〉がすでにハワイを出港した後だった。その出身地は、周防大島の南に接する小さい島、沖家室島だという。 ![]() ![]() ![]() 誰がここに来て、ナイノアにはどのように届けたのかはわからないけど、届けた人はキチンと松本さんに報告しておかないと、それは〈ホクレア〉の恥になると思うよ。 ![]() ▲
by west2723
| 2010-06-01 12:53
| 海での話
雨が小降りなうちにしまなみ海道を抜けてしまおうと思い、海を眺める余裕も無く一気に本州へ。しかし、尾道に入った頃には再び大雨となった。もはや山陽自動車道はハイドロプレーン状態。幸い交通量が少ないから自分のペースで走れるものの、それでもこっちのクルマってこんな時にもライトをつけずに突然現れるから、危なっかしいったらありゃしない。
それにしても広島県って名前の通り広いねぇ。豪雨の中、走っても走っても広島県なのだ。あきらめて途中のSAで休んでいても広島県なのだ。それでも高知を出てからほぼ5時間。どうにか山口県に入り、最初のインターチェンジを降りて周防大島へと向かうことができた。本州と大島を繋ぐ橋を渡った頃には緑もグッと濃くなった印象。このあたりの山の高さと、谷にできた田んぼの組み合わせが、ふとハワイのアフプアア地形を思い起こさせた。自給自足を可能にする、山、川、谷、そして海から成り立つ地形。 宮本常一資料館に行ってみたら閉館間際だったので後日に回す。道の駅で軽い夜食を購入。宿に着く頃には薄暗くなっていたけど、まだ雨は降り続いていた。何を隠そう3年前のこの日に〈ホクレア〉が周防大島にやって来たのだ。島では記念のイベントもあるという話だった。しかし残念ながらこの雨で中止という報せ。その日は宿に引きこもることに決め、本を読んでいるうちに眠ってしまった。 ▲
by west2723
| 2010-06-01 00:58
| 海での話
ご存じ、Uddah番長率いる瀬戸内カヤック横断隊が、現在、祝島へ向けて航海中です。リンクには途中経過が非常に塩っ辛く紹介されていますので、無事を祈りつつ、ぜひご覧ください。寒そうです。
〈ホクレア〉のナビゲーターもビビった潮流を漕ぎ続けるには、かなりの腕が必要になるのでしょう。彼ら日本のトップカヤッカーたちの、「毎年地道に続けている感じ」には強い共感を覚えています。 僕もこの週末、別件で広島へ行きますが、彼らを探して会いに行くのはムリそう。ご武運を! ▲
by west2723
| 2009-11-26 17:36
| 海での話
昼のニュースを見てびっくり! 今朝、天皇皇后両陛下が葉山の大浜で和船を漕がれたとのこと。しかも秋篠宮紀子さまと悠仁親王まで同乗し、一時は両陛下で櫓を漕ぐシーンもあった。沈んだら大変だろうと見ていてハラハラするものの、一家を乗せて櫓を漕ぐ陛下はカッコいいです。それにしてもご用邸には、あんなに立派な和船と艇庫があったんだなぁ。
わざわざメディアを集めて、あのシーンを撮影させることには何かの意図があったのだろうか? 政権はどこに変わろうとも、これから皇室は「海」をテーマに行くのでよろしく、というようなメッセージだったら大歓迎なんだけどなぁ……。最近の葉山にはサバニもたびたび浮かんでいるようだし、あの海には何かが宿りましたね。何かが良い方向に向かっていると思うので、たとえばDukeさん、時を待ちながら、焦らずじっくり行こうよ。 ▲
by west2723
| 2009-09-14 12:32
| 海での話
八幡暁さんというシーカヤッカーが、八丈島から鎌倉までの単独漕破に成功したという。この人はすでにオーストラリアから日本までの航海も成功させており、あのUddah番長も、敬意を込めて「シーカヤック界のプリンス」と呼んでいるほどの人物だ。まったくの単独行。伴走艇も撮影隊も同行していない。だから写真も少ない。そんなツワモノでさえ、八丈〜鎌倉間の航海には充分な準備を積んだ。八丈島に住んで、八丈島の漁師たちを尊敬し、尊敬され、満を持して八丈島を漕ぎ出したという。
という話を聞いていると、思い出すのは我らがDukeさんの《Ocean Legend》だ。今はクルーを集めるのに苦労している。カヤックは一人だったのに何故できないの? と思う人がいるかもしれないけれど、いかに屈強なDukeさんとは言え、伴走艇やサポートクルーの協力無しには成功しない。なぜなら、今のアウトリガーカヌーは競技用に開発された乗り物であり、決して「旅の道具」ではないからだ。シーカヤックには150kgもの荷物を積めるという。言わば海に浮かぶ大きなバッグパックだ。遠征の場合には海水濾過装置まで積むという。 一方のアウトリガーカヌーは、あのモロカイ・ホエでさえ全行程は60km。「旅」ではなく「競技」の距離なのだ。ましてOC-1となると満足に水さえ積むことができない。しかも競技用に軽さを追求しているので、少し岩に乗り上げるだけで簡単に壊れてしまう。しかしこれは「どちらの道具が優れているか」というような話ではなく、「使う道具が違う」というタイプの話だ。F-1がラリーを走れないように、ロードバイクが砂漠を走れないように、今あるようなアウトリガーカヌーで、これほどの海を渡ることは「何かが違う」んじゃないか、と思う。 ということで、《Ocean Legend》をやるんだったら、安全に海を渡るためのアウトリガーカヌーが必要なのではないかと思い始めている。旅するOC-1、あるいはOC-6だ。本気でカヌーを愛するのであれば、そういう道筋で《Ocean Legend》を考えてもいいんじゃないか? 開発にはメーカーの協力も欠かせないし、おカネも時間もかかるだろう。でも、たとえ遠回りであっても、その方が本来の《Ocean Legend》の趣旨に合うのではないだろうか? たとえF-1でサハラ砂漠を横断しても、そんな行為は人々の明るい未来に向けて何の貢献もしない。ただの「変わり者」と言われておしまいだ。しかしこのプロジェクトを通じて「旅するカヌー」が生まれたら、Dukeさんの行動は文字通り伝説になる。何たって、日本人の海との関わりの中に、新たなカヌーを残すことになるのだから。 そんなこんなで、クルー集めに奔走するDukeさんを横目で見ながら、《Ocean Legend》にはもっと時間をかけるべきじゃないかと思い始めている。まずはこのプロジェクトに向けて立ち上がっただけでも立派なものなんだから、延期はDukeさんにとって挫折でもなんでもない。実行に移す上で、新たに大きな課題が見えて来たというだけのことだ。だったらその課題を解決するまで拙速は避け、より完全な、誰もが納得できるカタチで実行すればいいんじゃないかと思う。どんなもんでしょう? ▲
by west2723
| 2009-07-27 20:06
| 海での話
言うまでもなくDukeさんの『Ocean Legend』の話。次なる第2章は、八丈島をスタートして、OC-1で江ノ島まで漕ぎ切ってしまおうという計画だ。伴走艇の手配が難しく、当初7月中旬に予定していたものが7月末になるかもしれないとのこと。いいじゃありませんか。この計画は、何かひとつでも不備や不安があれば躊躇無く延期、あるいは計画変更すべきものだと思っている。何たって動力無しのカラダひとつで、黒潮を横断し、八丈島から本州まで漕いでくるというのだ。計画通りに進む方が奇跡に近い。何より無事に帰って来なければ、その体験を人に伝えることができない。
なんてことを思いながら改めて地図を眺めてみると、八丈島と三宅島の間ってけっこう離れているんだな。しかもここは黒潮の本流が流れている。つまり少しでも風が出れば、OC-1なんて軽く飲み込む波が立つというわけです。そこで思い出すのは八丈島の漁船なんだけど、そのほとんどがアウトリガーをつけているのだ。港の堤防も非常に高く、5mほどあったように思う。そのような海域なのだから、是非一度、安全な船に乗せてもらって、海の様子を見ておく必要があると思う。三宅島から江ノ島であれば、どうにか完漕の見通しも立つだろうけど、三宅島〜八丈島は波の次元が違うことくらい、素人の僕にでも容易に想像できる。 「頑張れ」と言うことは簡単だけど、何か不測の事態があった場合には「頑張れ」と言った一人一人にも責任が生じると思う。だから僕は、「絶対にムリはするなよ」と言っておきたい。完漕のイメージが完全にシミュレーションできるまでは、あるいはひとつでも不安な要素がある間は、躊躇無く延期してほしいと思う。そして、何かココロに焦りが生じた時には、出ないとなったら誰が何と言おうと絶対に出航しない〈ホクレア〉の姿を思い出せばいいのだ。 ▲
by west2723
| 2009-07-01 10:10
| 海での話
昨日11月3日、文化の日。葉山の大浜海岸ではサバ二の進水式が行われました。夕方までやっていると勝手に思っていた僕は、のんびり出かけて行って見逃してしまったんだけど、大浜海岸に帆をかけた古式サバニの浮かぶ姿がしっかりと撮影されていました。これってけっこう画期的というか歴史的なことだと思うんだけど、どんなもんでしょう。
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by west2723
| 2008-11-04 02:53
| 海での話
久しぶりに葉山に行き、カヌーを漕がせてもらった。秋に入って、すっかり人の少なくなった海は穏やか、と言うよりも湖のようで、カヌーの練習をするには絶好のコンディションだった。OC-6を2艇つないだ、ダブルハルの12人乗り。コーチは内野加奈子さんで、ステアはDukeさんという、めったに見ることのできない顔合わせだった。こんなにキモチのいい海に、僕たちだけが漕いでいるなんてもったいない。もっとみんな、カヌーで海に出て来られるようになればいいのに、と思った。
それにしても、秋の海っていいね。ビーチは静かだし、水は澄んでいて海の底まで見える。余計な音が聞こえてこない割りに、人の声や鳥の鳴き声は遠くからも聞こえてくる。 夕方からは内野さんのトークイベントがあり、40〜50人くらいのお客さんが集まった。それにしても女性が多いことにびっくり。この〈ホクレア〉的な物語は、特に女性たちの間に浸透しているのかもしれない。みんな30歳前後という感じかな? フリーペーパーを出していたりフェアトレードのお店を出していたり日本中の島を回っていたり……何とまぁ、みんないろいろな行動を起こしている。 〈ホクレア〉のパワーが、このような多様なジャンルの人たちに受け継がれて行くと、いずれ予期せぬ展開が起きるのかもしれない。これからが楽しみだ。一方、同じような年代のオトコたちはこれほど多彩な活動をしているだろうか? なんてことをふと思った。最近は男の方が元気ないような気がする。みんなおとなしい。少なくとも僕は、たいしたことしてないなぁ、とも思った。思ったけど、いずれまた時は来るという予感を信じて、あまり慌てないことにしよう。 「今は全人類が共通の危機を迎えていて、それを共に解決しなくてはならないという、考え方によってはとてもエキサイティングな時代」 内野さんは、こうして日本航海の語り部としてトークイベントを重ねながら、さらに言葉に磨きをかけてきたように思う。パワーも加わってきた。話もうまくなった。みんなを笑わせる余裕まで身につけてしまった。迷いの無い、ポジティブな言葉を聞きながら、勇気づけられる人は多いはずだ。 134号に戻ると、Uddahさんが沖縄から運んできたサバニが置かれていた。真横から見るといかにも速そうなカタチ。カッコいい船です。 そのまま海沿いをぼんやり歩く間、相変わらず海は静かで、遠く相模湾沿いの明かりがキラキラ。この光を見ているうちに、そろそろ冬が近いんだなぁ、と思う。 静かな海……静かな海……カヌーを漕いでいる時から「この言葉、どこかで聞いたような気がする」と、ずっと気になっていたんだけど、帰り道、クルマを運転しながら思い出した。たしか、月の地名に「静かな海」ってあったはずだ。「静かの海」だったかな? 今日は雲に隠れていたけど、明日は満月。皆さん、明日晴れたら、外へお月見に行きましょう。 ▲
by west2723
| 2008-10-12 23:52
| 海での話
最近は茅ヶ崎『Amenbo Beach Club』のOC-4にたびたび乗せてもらっている。もともとは地元で海のイベントがある時に、子どもたちを乗せて海を体験してもらうためのカヌーなんだけど、カヌーが空いている時に何人かで海に集まって、交代で漕いでいる。転覆した時の対応については、海が静かな場合に限りできるし(つまりうねりの大きい時にはカヌーを出さない)、慌てなければいいことがわかってきたので、以前ほどはビビらなくなった。パークから烏帽子岩、遠くへはせいぜい江の島あたりを周回するのんびりしたパドリングは、僕の性格に非常に合っている。何かの大会を目指しているわけではないツーリング指向のメンバーが多いので、非常に気が合う。合っていると思うと呼吸も合ってきて、カヌーは非常に速く進む。これはとても不思議でキモチのいい経験です。
で、日曜日は茅ヶ崎の海岸で地引き網&バーベキューのイベントがあり、となると子どもたちも集まってくるのでOC-4の出番となる。それにしても、子どもたちって沖に出ることを全然怖がらないんだね。1時間ほどの間、カヌーはほとんど「お猿の電車」状態だった。あまりにうれしそうだと、かえってオトナの責任は重大になる。何たって、ここで怖い思いをさせてしまったら、その子は一生海に近寄らなくなるかもしれないのだ。でも今のところ、このクラブでは子どもたちを乗せて転覆したことは無いという。さすがです。ちなみにこのクラブのリーダー格は、チャド&ポマイ夫妻やマカさんもやって来たハワイ料理店の店長さんで、メンバーには〈カマヘレ〉をハワイに返しに行った2人も所属している。そしてその店が、makalaniスラッキーギター教室の会場としても使われている。 そんなこんなで海でのバーベキューの後は、夕方からスラッキー教室の「発表会」が予定されていた。僕はいったん家に帰り、昼寝をしたら寝坊してしまって遅めに到着したんだけど、着いてびっくり。何たってステージがあるんだぜ。しかも店いっぱいのお客さんが、ちゃんとしたライブさながらにステージに向かって「ガン見」だぜ。そうとは知らず、ほとんど練習をしていなかった僕は一度は敵前逃亡を試みたんだけど、ビギナーの人もみんな楽しそうに弾いていたので退くに退けなくなってしまった。でも何だね。人に見られていると、普段できることの半分もできなくなってしまうもんなんだね。これからは、その半分も計算に入れて練習しなくてはいけないのかもしれない。ということで、makalaniさんはこのブログのUddahさんのリクエストを受けて、さっそく『オホーツクの舟歌=知床旅情』を披露してくれました。Uddahさん、この演奏は一度聴いておいたほうがいいと思う。 ということで『Amenbo Beach Club』もスラッキースクールも、僕にとっては〈ホクレア〉が縁で会うようになった人たちです。さっきまで一緒にカヌーを漕いでいた人たちが、今度は一緒にスラッキーを弾いている。茅ヶ崎特有の、ローカルでのんびりした空気の中、それぞれがいい感じで楽しい時間を過ごしている。それがいっぺんに体験できるという、とても平和で楽しい日曜日でした。 ▲
by west2723
| 2008-09-29 22:42
| 海での話
夜の21時、今日のNHKスペシャルは凄かった。ゴブリン・シャークの映像には参った。海底谷の説明は簡潔でわかりやすかった。東京湾で山当てしていた漁師さんもカッコよかった。大都会から流れ込む栄養が水深1000mの海溝を潤すだなんて、海の里山のようでもあり、陸上でのありふれた生活が神秘的な海底と繋がっているようで、ちょっとうれしい。やはりNHKって、本気になると凄いね。
▲
by west2723
| 2008-08-31 22:01
| 海での話
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