〈ホクレア〉は、これからもアートなのだ

〈ホクレア〉のどの部分が古代航海カヌーの復元で、どの部分が創作なのかはわからないけど、いずれにしても〈ホクレア〉をデザインしたハーブ・カネ氏が広告の世界でも成功したデザイナーだということは、非常に大切なポイントだと思っている。広告のデザインは常に「人の目にはどのように映るか」を念頭に行われるわけで、となると〈ホクレア〉のどこを見せようと思っていたのか、とても気になってしまう。いつかハーブ・カネ氏にもインタビューする機会があればいいなぁ。

クアロア・ビーチパークで〈ホクレア〉が進水した際、エディ・アイカウは「過去からやってきたタイムマシンだ!」と思ったという。宇和島で、たまたま自転車で新内港を通りかかった数人の少年たちは、〈ホクレア〉を見て「何だ? あの海賊船みたいな船は?」と、かなり驚いていたけど、あのデザインには、予備知識など何もない人が見ても異様なインパクトがあるらしい。それは、何らかのメッセージを伝える上で非常に大切なことだ。〈ホクレア〉を知っている人に対しては今さらプレゼンテーションは必要ないけれど、知らない人にその存在を伝えることはいつになっても大切なのだ。
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そして、その異様なインパクトを携えた船は、これまた想像を絶するような航海術で海を渡るというからますます興味を持ってしまう。しかし、その技術を知ろうとすればするほどポエムのような言葉に触れるばかり。そこで多くの人は道を間違える。いや、違うな。いったんは間違えたように思えるかもしれないけど、結果的に正しいポジションにたどり着くことになる。命がけの航海であるにもかかわらず、言葉にするとロマンチックになってしまうから〈ホクレア〉は分かりやすくもあり誤解されやすくもあるのだ。ナイノアのスピーチって、ほとんど詩の朗読と変わらないでしょう?

そしておそらく、ナイノアさん自身が言葉を扱うことが好きなのではないかと思う。彼は芸術家でもあり、けっこうコピーライターなのだ。今年の1月、ナイノアにインタビューした時に「今でも海を怖いと思いますか?」と聞いてみたんだけど、その時に彼は一呼吸置いてからニヤリと微笑んだ後に「Fear is a Friend」と言い切ったモンだ。簡潔な一語で言い切れたことに、非常にうれしそうな表情を見せた。おそらく「One Ocean ,One People」というおなじみのキャッチフレーズも、あんな調子で、突然ナイノアの口を突いて出てきたものに違いない。
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つまり、〈ホクレア〉の航海は一種の表現行為なのだと思う。リアルで命がけの航海であるにも関わらず、それを伝えるにあたってはアートの力を借りる。だからカッコいいのだ。だからこそ考古学や人類学、あるいは他の島々での航海カヌーや伝統航海術の知識などなくても、あれほど多くの人が感動し、多くの思いを共感できた。これはとても大切なポイントだ。なぜロックを聴くのか説明も分析もできないけど、いいものはいい。そんな感じ。〈ホクレア〉はこれからも音楽のように、あるいは演劇のように理解されて行けばいいんだと思う。知識は後からきっとついてくる。

七里ヶ浜の沖にカヌーを浮かべ、僕は〈ホクレア〉の横でハカを聞いていた。あれは、海の上ではもう二度と見ることのできない贅沢極まりない演劇だった。今ではおなじみの〈ハカ・ホクレア〉だけど、あれは〈ホクレア〉がニュージーランドでマオリの歓迎を受けるまで、クルーの誰もが知らない儀式だったという。つまり「オレたちも、ああいうのやろうよ」という感じで始まったものだ。

という具合なんだから、見る側は「これはハワイ的にどのような意味を持つのだろう?」とか「こっちも何かお返しをしなくてはいけないんじゃないか?」なんていちいち考える必要はない。〈ホクレア〉のメッセージをカッコ良く伝えるための演出は何も考えずに受け入れていればいい。こっちはいい観客であればいいのだ。意味は後からでも理解できる。ただしカッコいいアートは、観客にもカッコ良さを要求する。そう、〈ホクレア〉にインスパイアされた以上、僕たちもカッコよくならなくてはいけないという課題が残されるんだけどね。

な〜んて言ってるうちに、長くなってきました。ここらでいったん出かけます。続きは後ほど書き足しますね。コメント歓迎はいつもの通り。
by west2723 | 2007-09-01 12:07 | ホクレア


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