東京で語られる「green」への提案。

〈ホクレア〉がやって来た頃、たびたび素敵なメッセージを送ってくれたシーカヤックビルダーさんのご自宅を訪ねた。お住まいが下関ということだったので、海峡、港の気配が濃厚な土地を想像していたものの、カーナビの案内した土地は、それとはまったく逆の、ホタルの里とも呼ばれる深い山の中だった。下関市って広いんだなぁ。近所には温泉も多い。田植えを終えて間もない田園風景に、点在する集落。その中に、今夜、僕が訪ねるべき一軒がある。なんだかとてもうれしい。

ご自宅に併設された工房では、木製の骨組みのシーカヤックと、同じく木製で、細長い長方形のブレードを持つパドルが作られている。このパドル、見た目は扱いにくそうなんだけど、水の抵抗が少ないために長距離を漕ぐと疲れの出方がまるで違うらしい。森があるからカヌーができる、カヌーができるから海に行ける、と〈ホクレア・ハカ〉は唱えるけれど、それを実証するような話だ。ちなみにこのパドルは売れ行き好調なようで、何本かの木材がデビューに備えて削り出し作業の途中だった。
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定住促進制度に応募して、この土地に移ってから20年あまり。今ではお子さんも成長されたので、いよいよ本腰を入れて地元の農業の活性化に取り組んでいる。初めて眺めてみる限り非常に豊かな田園風景ではあるけれど、ここでも農村の高齢化は深刻な問題らしい。高齢化すれば、農作業がつらくなることはすぐに想像がつく。がしかし、それは問題のうちのほんの一部なのだ。

「たとえばあそこに川がありますよね。あの川から用水路が引かれていますが、そのためには土手の補修をしなくてはならない。放っておくと、いつ決壊するかわからんし。つまり、田んぼを守るために、そういうキツい仕事もたくさんあるんです。しかもカネがかかる。カネは自治体も出すんですが、その何割かはその水利権を持つ農家も負担しなくてはならない。となると、もう農作業もようできんし、カネまでかかるんじゃやっておられん、ということで、水利権を手放してしまうんですね」



言うまでもなく、農業こそ自然の恵みの中で行われる。自分の田んぼ一枚手入れすればいいというものではなく、三里四方の自然環境が保全されて、初めてその田んぼも収穫の時を迎えることができる。しかし、そんなことまで高齢化が進む農家の方に押しつけていていいのだろうか? 一方で、都市部では相も変わらず「地球環境を憂う」議論ばかりが行われている。もちろん、都市部にはこのような情報が伝わってこないのも大きな理由かも知れない。もしもここで情報がうまく回り始め、環境問題に敏感な若い人たちが農村部に流れ始めたら、何らかの変化が起きる可能性はある。

こうしてまたひとつ、田んぼが失われて行く。僕がたまたま訪ねた集落だけではなく、これが全国規模の農村で起きていることだとしたら、日本の「食」の危機は、今、農作業に励むご老人たちが働けなくなる頃にやってくる。その時期は、机上で考えるよりもはるかに早くやってくるはずだ。
「だったら今すぐ堤防の補修に行きましょうよ」と立ち上がりたいところだったけど、もちろんこれは一人二人が一日二日でできるような仕事ではない。こういう実態を見てしまった以上、僕も何かはじめなければならない。でも、何から始めればいいんだろう?

東京に戻ってから、「green」を標榜するウェブマガジンを眺めていた。そこには東京から近郊の農村に「エスケープ」して、「サステナブルな社会について論じる」イベントの紹介が行われていた。キモチはわかるけど、ただエスケープするだけとは農村に対して失礼だ。論じるハートがあるんだったら、次の「取り組み」を考えているんだったら、ぜひ一度、このような「素」の農村の姿を取材してほしいと思う。このような状況を少しでもいい方向に向けるような方策こそ、「green」を標榜する人たちに課せられた課題ではないだろうか? 稲作が始まって以来、農村という、1000年の歴史ある「サステナブルな社会」が、今、目の前で崩壊の危機を迎えているのだから。(続く)
by west2723 | 2010-06-08 20:33 | 陸での話


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