朝、ホテルのフロントで聞いた道順の通りに歩いてみた。「電車通りを渡って真っ直ぐ行くと川にぶつかりますから、土手沿いに右に」。なぜかとても緊張している。子どもの頃に修学旅行で来ていれば何らかの免疫はできているだろうけど、ある程度いろいろ知ってしまったオトナになって初めて来るとなると、このような歴史を刻んだ土地を歩くのは、正直に言って精神的にかなりキツい。
想像していたよりも小さいなぁ、と思った。でもそれは周りのビルが大きいからなのだろう。ちょうど札幌の時計台を初めて見た時のような第一印象なのだけど、明らかな違いは、このドームが破壊された建物であるということだ。 産業奨励館は、もともと左右対称の建物だった。しかし元安川の方角から見ると、右半分の方が大きく破壊されている。きっとそちらの方角に爆心地があったのだろう。と思いながら歩いてみると、案の定、ドームから200mほど離れた外科医院の前に爆心地の碑が建っていた。原子爆弾は、その上空500〜600m上空で爆発したのだという。それほど離れた上空での爆発でありながら、爆風によってここまで破壊されてしまうのだ。その破壊力を、何十万もの人々が普通の生活を営んでいる都市の真ん中で使おうというのだから、その作戦を立案した人物、命令を下した人物、遂行した人物、すべての人物の気が狂っていたことだけは確かだ。そして、人は誰もが狂ってしまう可能性がある。だからって、このような爆弾を作ったところで、世界の、世の中の、いったい何が良くなるというのだろう? 週末ということもあって、団体の観光客が波のように押し寄せてくる。外国人観光客も多く、彼らは皆、神妙な面持ちで快晴の空を背景にしたドームを見上げている。観光客の中には手を合わせる人もいる。広島の人にとっては見慣れた建物かもしれないけれど、初めて見る者にとって、近くから見上げる原爆ドームの姿は衝撃的だ。手を合わせたくなる気持ちは当然だと思う。 しかし、この疑問は後に資料館の展示を見ながら氷解して行った。「自分のせいで戦争が起こる」と考えると、戦争に対する向き合い方がまるで変わってくるように思えてきたのだ。 自分のせいだから「ごめんなさい」。原爆ドームの圧倒的な存在感を前にすると、この言葉しか浮かんで来ない。その詳しい理由は、後ほど改めて書きたいと思います。 「この場所は日本の人にとって最も大切な場所のひとつに違いない。しかし、そこに呼ばれてもいない〈ホクレア〉を勝手に着けることは、日本の人の心を深く傷つけることになるかもしれない」 「〈ホクレア〉の周りには、そんな主張ができる若いクルーが育っているんだなぁ」と、西村kazuさんはしみじみと語っていたものだ。たしかに、今こうしてドームを眺めていると、ここに〈ホクレア〉が浮かぶ違和感は大変なものだっただろうと思う。 いずれにしても、この建物を残してくれた人々の、英断と努力には感謝しなくてはいけないな。
by west2723
| 2009-12-01 10:57
| 陸での話
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