地球の日〜昭和の日

今日(日付が変わったから昨日ですね)は世界的に「アースデイ〜地球の日」だったそうで、日本でもあちこちで「そういったタイプの」イベントが行われていたようです。僕も複数の人たちから「行かないの?」と誘いを受けましたが、スミマセン、平日はムリです。夜まで仕事を入れてました。「僕は毎日がアースデイだから」なんてとぼけてみたものの、こうして年に一度、無理矢理そういう日を決めておくというのは決して悪いアイデアではないと思う。日頃「環境によろしくない」生活を強いられているワレワレにとって、何かひとつでも罪滅ぼしができるならば大いにやればいいのだ。

ところでこの種の話になると、僕がいつも思い出すのは子どもの頃に見ていた街のようすだ。



まず、街のお母さんたちはみんな買い物かごを提げて買い物に行っていた。ほとんどの商店は夜には閉まっていたので、買い物は夕方までに済ませ、みんな夜は家で過ごしていた。ほとんどのお母さんたちは魚が捌けたし野菜の皮をむいた。だからお総菜をプラスチックのトレイで売ることもなかった。売っていたとしても、買いに行く人が何らかの容器を持参していた。ペットボトルなんてものは無かった……、などなどで、僕の記憶に残っている昭和の生活は、今よりもはるかに「エコ」だったと思う。

最初はムダに思えていたモノが、生活に浸透してしまうとムダではなくなる。そこに新たな需要が生まれ、経済は右肩上がりとなり、僕たちの収入を押し上げ、ローンが組まれる。もはや後には戻れない状態のまま、さらに必要無いモノが生まれ、おカネを生み出し加速度的に増えて行く。だってコンビニやスーパーの棚を覗いてごらんよ。加工食品とか機能満載のコスメとか雑誌とか(僕の作る雑誌もムダだったらイヤだな)、人が生きて行く上で必要なものって、どれほどありますか?

それを「必要ない」と思う人が増えてきたから、ご覧の通りの不景気がやってきたわけです。今では誰もが「サブプライムローンの破綻によるアメリカ発の金融危機……」という常套句を現在の不景気のせいにしているけど、あの破綻が起こる前からモノは売れなくなっていたじゃありませんか。金融バブル、ネットバブル、などなどの崩壊を見ながら、僕たちは「世の中にはムダなものが多い」ことに気づき、少しずつモノを買わなくなっていた。ムダなものを買うとゴミが増えるばかりじゃん、ということに多くの人が気づき、経済は縮小して行った。そして僕たちの仕事も収入も減り続けた。

それでいい、こうして海にいる限り関係ないし、地球がキレイになるんならそれでいい。と、みんなが覚悟を決めるのであれば僕もつき合います。たしかに、海で遊んでいる間は金融危機なんて遠い世界の話かもしれない。しかし、いざ海で「コトを構えよう」とすると、「何かイベントをやろう」とすると、「アスリートとしての生活を考えよう」とすると、「この経験を本にまとめよう」とすると、結局その資金をスポンサーに頼ったりしませんか? みんなが嫌う「ネクタイを締めたストレスだらけの人たち」が作ってくれるおカネに、その時だけは都合良く、安易に頼ってはいませんか? 自分たちが海でキモチ良く過ごせることと今の経済とは、何の関係も無いと思ってはいませんか?

なんてことを「地球の日」に考えました。この話を始めると長くなるので、このくらいにしておきます。僕は個人的に、「地球の日」よりも「昭和の日」の方が性に合っているように思っています。エコバッグなんて言葉さえなかった「買い物かご」の長閑な日々に戻れば、それでいいんじゃないかと。昭和に戻って困るものは、上下水道と公害対策と医療くらい。ということで、エコを論じる前に料理のレパートリーでも増やして、ムダなトレイを使わない生活を志してみようと思っています。
by west2723 | 2009-04-23 03:21


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