岩手県・野田村への小さな旅〜その3

集落に出ればどこからともなく祭り囃子が聞こえる。部屋に戻ればバンドのメンバーが尺八を吹いているし、楽屋に行けば贅沢きわまりない音合わせを聴くことができる。つまりこの3日間、和楽器の音にどっぷりと浸っていたわけだけど、その間、ふと、ある思いが僕の意識の奥底から湧き上がってくるのを感じていた。
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眺める景色は普通の地方の風景なんだけど、そこに和楽器の音が重なると、その風景の持つ意味が劇的に変わってくるのだ。音楽こそが、目の前の風景を理解するジグソーパズルの最後の1ピース。しかしこの感覚は、iPodから流れてくるいつもの音楽では理解できないもので、やはり笛や太鼓や尺八など、ナマの和楽器のチカラが必要だった。
この感覚は「祈り」に近いのではないかと思った。大自然の恵みをいただきながら生き抜くための祈り。祭り囃子によって、普段は山や海に姿を変えている八百万の神さまが現れる。そして、収穫前には天候の無事を守り、収穫の時期には人々からの感謝の言葉を聞き届け、神さまは再び海や山に姿を変える。
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一方、歌には人を鼓舞するチカラもある。多喜雄さんのお父さんは漁船の船頭で、少年時代、電気の通っていなかった家での唯一の娯楽はお父さんの歌う民謡だったという。その当時は歌が歌えなければ船頭にはなれなかった。なぜなら北海道の荒れた海に漕ぎ出さなくてはならない漁師にとって、恐怖から自らを奮い立たせるために歌にチカラを借りたからなのだ。
『男度胸だ五尺の体、ドンと漕ぎ出せ波の上チョイ』というわけで、多喜雄さんはソーラン節をポピュラーだから歌うのではなく、この歌が生まれたまさにその現場にいたから歌う。荒れた海をステージに変えて、その労働の現場を歌い継いでいるのだ。
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お祭りの最後をTAKiO BANDが締めくくった。ステージの前は、この村のどこにこれほど多くの人がいたんだろう、と思えるほどの観客が集まっていた。一緒にハイエースでやって来た人たちを、こうして客席から見上げるというのも不思議な感覚だ。昨年まではブルーシートで囲んだだけのステージだったらしいけど、今年は大漁旗で飾られた。非常にコンパクトな編成ながら、吹雪のような津軽三味線と風のような尺八はいつもの通り。全部のパートが時折ユニゾンでたたみかける気合いの演奏は健在だった。
演奏終了と同時に、村の花火大会の一発目が打ち上がった。こうして、三陸海岸北端の村は、暑かった今年の夏を賑やかに見送ったのだった。
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野田村の皆さま、お世話になりました。村長は「この村には観光が何もない」などと謙遜するけれど、とても豊かな村だと思いました。大きな海と深い山。ほとんどの子どもたちが日本民謡を歌う、伝統文化の色濃い村。ムリに観光を興すでもなく、村おこしにムダなカネを使うでもなく、野田村がこうして自然体のまま、平和な日本の村であり続ける限り、僕はいつでも「観光で」やって来たい。
これからも未来永劫、秋には豊かな実りが訪れますように。
# by west2723 | 2010-09-03 11:46 | 音楽

岩手県・野田村への小さな旅〜その2

伊藤多喜雄さんの音楽は、漁船の船頭だった父親から仕込まれた現場感覚溢れるタマシイの歌唱だけではなく、和楽器をズラリと揃えた『TAKiO BAND』による、たたみ掛けるような、アドレナリン全開の演奏を特徴にしている。あくまでも津軽三味線、尺八、和太鼓などの和楽器を中心に据えた編成が基本になるけれど、ジャズミュージシャンからの応援も多く、時にはドラム、ベース、ピアノ、サックス、ヴァイオリンなどを加えた大編成になることもある。ドラムに村上ポンタ秀一さん、サックスに坂田明さんが加わった、2005年NHK紅白の演奏を覚えている人はいるかなぁ…。

このバンドはメンバーの入れ替わりが活発で、多喜雄さんは積極的に若手の和楽器奏者を起用する。現在プロとして活動する和楽器奏者の多くが『TAKiO BAND』を経験しているほどだ。今回は尺八二人、津軽三味線一人に、女声ヴォーカルの柿崎竹美さん(この人がまた、秋田出身の天才民謡歌手です)という編成。翌週に控えた上海万博の会場に和太鼓を送ってしまっていることもあり、このようなコンパクトな編成になった。バンドは楽器運搬用のハイエースに乗り、運転を交替しながら東北道を北へ向かう。ところで、こういう移動の時間に曲順を決めたりするんだね。知らなかった。
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到着後、バンドが合宿所としているという古民家に向かった。どうですか、この風格! 村の中心部から狭い山道を走ること20分ほど。このような古民家が数軒ならぶ限界集落が忽然と現れる。すでに住民がいなくなった集落を、まるごと村で買い取り、『アジア民族造形館』という施設として保存を決めたものだ。やるなぁ、村長。消えかけていた民家がこれほど立派だったなんて、このような取り組みがいかに大切なものかがわかる。
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多喜雄さんは、その中の一軒を借りてバンドの合宿所にしている。神棚や調度品も残っており、以前ここに住んでいた人の生活が偲ばれる。その日は気温30度を超える暑さだったものの、中に入ってびっくり。畳の部屋にはどこからともなく風が入ってきて、冷房の必要がなかったという日本家屋の実力を体感する。あまりの涼しさに、バンドのメンバーはあっという間に昼寝に入ってしまった。
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土間に向かうとさらにびっくり。誰もいなかったはずの囲炉裏に火が入っているのだ。このような古民家は、囲炉裏の煙を絶やすとすぐに傷み始めるとのこと。そのために『アジア民族造形館』のスタッフが毎日火を入れているらしい。もちろん、室内は隅々までキレイに手入れされている。このような維持管理ができるのは自治体あってのもの。こういうことに使われる税金は、未来に向かって生きてくるはずだ。何ならふるさと納税しようと思うんだけど、村長から連絡が来ないなぁ…。
# by west2723 | 2010-09-03 10:57 | 音楽

岩手県・野田村への小さな旅〜その1

初めて野田村の村長さんにお会いしたのは、梅雨明け間もない7月の下旬だった。日本民謡歌手の伊藤多喜雄さんに誘われて、恵比寿の居酒屋で飲み始めてからほぼ1時間後、村長は汗を拭きながら、重そうなバッグを抱えて現れた。こんなに書類を抱えて、いったいどんな出張なんだろうと思ったら、全然違うんです。見せてくれたバッグの中には、野田村名産の自然海塩『ベコの道』『塩蔵わかめ』の真空パックがぎっしり。こうして野田村を離れるたびに、会う人ごとに、この塩とわかめを手渡しているという。凄いなぁ〜と思った。働く首長さんは、人知れず、こんな努力をしているんだ。
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野田村は三陸海岸の北部に位置し、海あり深い山ありの、大自然がそのまま残る村だという。目立った観光こそないけれど、全国の自治体の中でも、特に交通事故の少ない村だとのこと。村民の安全と平和な暮らしを守り、村長自らが、こうして村の産業のPRに歩く。五穀ならぬ護国豊穣。このようなリーダーを相手に、党派がどこかなんて聞きたいとも思わない。そんな話は小さいのだ。僕は国会議員にも何人か会ったことはあるけど、東京でろくに仕事もせず、地元での人気取りばかりがナリワイになってしまった彼らより、たとえ小さくても故郷を背負うリーダーの方が、はるかに大きく見える。
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ところで特に観光が無いとは言うけれど、この辺りの夏祭りで歌われる民謡が、『ソーラン節』を始めとする北海道の多くの民謡の基礎になっているらしい。そんな縁もあって、伊藤多喜雄さんと村長のつき合いが始まって3年目。日本中で失われようとしている民謡を発掘し、怒濤のような和楽器の演奏によって蘇らせてきた「戦う民謡歌手」にとって、これは意気に感じるつき合いであることは間違いない。そして今年も小さな村祭りのビニールシートのステージに、NHK紅白二度出場の歌手が立つというのだ。そんないいもの見に行かなくてどうするの、ということで、この小さな旅が始まった。
# by west2723 | 2010-09-02 18:09 | 音楽

その時、破壊されたもの

広島出身の友人が「東京に来て最初に驚いたのは、8月6日が何の日か知らない人が多い」ということだったらしい。なるほど。僕もその言葉を聞いた時、「え〜っと、全校登校日だっけ?」なんてとぼける以外になかった。イカンね。

「キュー・テン・イチイチ以降の国際社会は…」なんてカッコつけて語りたがる政治や経済の評論家は未だに多いけど、「ハチ・テン・ロク」とか「ハチ・テン・キュウ」という言い方を聞いたことが無いのも奇妙だ。ということで、明日が8月6日。その時刻を迎える前に、ぜひ見ておいてほしいサイトがあるので紹介しておきます。

中国新聞社のサイトの中、「Peace Musium」に置かれている被爆前後の爆心の街というCGがそれです。街や建物のようすは忠実に再現されているとのこと。被爆後のようすを知るには広島平和記念資料館があるけれど、一方で、被爆前のようすを見ることによって、いったい何が破壊されたのか、核兵器がいかなるものか、よりリアルに理解できるはずです。ぜひ、ご覧ください。
# by west2723 | 2010-08-05 21:37 | 陸での話

自然の音を、ここまで豊かに再現できるCDがあったなんて……知らなかった

久々に、この世知辛いヨノナカに対して強くお勧めしたいCDを見つけたので紹介しておきます。これは凄いです。どうして今まで知らなかったんだろう、と、後悔してしまったほどの作品で、今ではほとんど毎晩寝る前に部屋で流れているという次第。タイトルは、上の一枚が『AMAMI』で、下が『NSO(=The Nature Sound Orchestra)』というもの。いずれも森の気配や鳥の声、虫の声、あるいは波の音などの「自然音」を集めて編集された作品で、たとえば『AMAMI』はタイトルの通り、奄美大島の自然音が、バイノーラル録音という方式でリアルに再現されるというものです。
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どんな音なのかはサンプルが公開されているので、まずはだまされたと思って聴いてみてください。どうですか? 凄いでしょう。ヘッドフォンを使って聴くように指示がありますが、PCのスピーカーで聴いても充分に違いがわかるはずです。なお、このページの「CD's」をクリックすれば、全作品のサンプルを聴くことができます。
これまでもこうした自然音のアルバムは多く出ていたけれど、どれも一度聴いたら飽きてしまうようなものばかりだった。理由はおそらく「ただ音を録った」というだけで、そこには何らアーティスティックな作業の跡が感じられなかったからだ。
しかし、この作品は、その点が全く違う。あくまでも最新の技術で録音され(バイノーラル録音については、先ほど紹介したホームページをご覧ください)、森の音、鳥のさえずり、波の音、かすかに聴こえる歌声、などなどが、アルバムの流れに乗って、起承転結みごとに構成されているから、最後まで一気に聴けてしまう。キモチ良くなって、そのまま眠ってしまうこともあるけれど。
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作者はジョー奥田さん。80年代にドラマーとして渡米し、LAでスタジオミュージシャンとしてキャリアを積んだ後、90年代は音楽プロデューサーとして、LAを拠点にかなり多くの大物アーティストを手がけている。やはりこのようなプロが手がければ、自然音もこれほど優れた作品として世に出せるというわけですね。
二枚目に紹介した『NSO』は、ピアノやサックスも「自然音の邪魔にならない程度に」加わった、非常に聴きやすい仕上げとなっています。どっちのCDもお勧め。さらに、「四万十川」「屋久島」という、日本の自然の「聖地」で録音された作品もあるけれど、これからゆっくり聴こうと思います。
ということで、蒸し暑い夏の夜にぜひ聴いてみてください。CDが回り始めたその時から、あなたの部屋は、誰もいない月夜のビーチという仕掛け。いや、ホントにいいですよ!
# by west2723 | 2010-07-29 19:40 | 音楽

佃の盆踊り

東京でお盆と言えば7月13日から15日の間だそうで、僕の実家もそうです。だから家に帰れない時には、部屋でお線香を焚き、こうして僕の住む佃島の盆踊りを見て、父親を見送ります。この踊りは佃の念仏踊りとも呼ばれていて、東京都の無形文化財に指定されているらしい。歌には太鼓の音以外に伴奏が無く、聴いているだけで、ご先祖の霊を見送るにふさわしい、敬虔な気分になってきます。
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銀座方面から佃大橋を渡る頃には、あたりはまだいつもの東京なんだけど、橋を下りると遠くの方から年に一度しか聞けないメロディが聞こえてくる。そしてテレビでもたびたび紹介される佃煮屋の角を曲がると、いきなり江戸時代にタイムスリップしたような異空間が現れる。特に今年は、盂蘭盆入りの前日に亡くなったマウ・ピアイルグ師の魂も、併せてお見送りしてきました。合掌。
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盆踊りは、まず子どもだけの踊りから始まります。この狭い佃島の、どこにこんなに多くの子どもたちがいたのかと最初は驚くけれど、みんな歌を覚えていて、最後には感心させられてしまうという真夏の夕暮れ。飾り付けもシンプルで、「南無阿弥陀仏」と書かれた白い提灯が並ぶだけ。周りには屋台も無いけれど、昔ながらの雑貨屋さんと酒屋さんがちょうどいい具合に開いている。こういうものを見ることができるから、僕はなかなか東京から離れることができないわけです。
# by west2723 | 2010-07-15 20:33 | 陸での話

ナイノア・トンプソン氏からのメッセージ

日本でお世話になるみなさまへ

伝統航海術の師マウ・ピアイルグが
多くの人に惜しまれながら他界しました。

マウの生き様にふれた日本のみなさんにも伝えてほしいと
ナイノアからメッセージを預かりましたので
お届け致します。(ホクレアクルー・内野加奈子さんより。以下、内野さん訳)


数限りない人々の心に捉えた、本当に素晴らしくかけがえのない一人の人間、伝統航海術師マウを知る世界中の方々に、大きな悲しみと共にお知らせします。

私たちの師、マウがこの世を去りました。マウは故郷サタワル島で、これまで彼が航海でいつもそうしてきたように、大きな勇気と力をもって、彼の病、そして彼の人生をナビゲートしていました。

マウに、マウの家族に、サタワル島に、首長たちに、
そしてミクロネシアのすべての島々に感謝を捧げたいと思います。
わたしたちが海の民であることを思い出させてくれた彼らに。
彼らがこの35年の間に授けてくれた数えきれない教えに。

マウがハワイ、ポリネシア、そして太平洋の全ての島々に与えてくれたものは計り知れません。
マウへ、マウの家族へ、そしてサタワル島の人々へ、私たちが送りうるすべての愛とアロハを送ります。
マウの教え子たちへの一番の願いは、学び続けること、そして教え続けていくことでした。
そしてそのためには航海し続けることが必要です。
マウはハワイを愛し、ハワイの人々を愛していました。
マウの愛したハワイのコミュニティを巡る航海を行おうと思います。
マウを讃えるために、そしてマウが私たちに願ったこと、海を渡り、学び、教えることを形にするために。

ナイノア・トンプソン

なお、原文でのメッセージはこちらで→http://www.hokuleawwv.org/home
# by west2723 | 2010-07-13 13:36 | ホクレア

マウ・ピアイルグ師が亡くなられたようです。



7月12日、18:30に、故郷のサタワル島で亡くなられたとのことです。
太平洋は、たいへん貴重な人を失いました。

しかし、ハワイで多くの人が引き継いでくれて、本当によかったと思います。
人類はどうにか未来を失わずにすんだ、とさえ思います。
http://www.kitv.com/news/24231392/detail.html
# by west2723 | 2010-07-13 12:10 | ホクレア

関門海峡

おそらくほとんどの日本人は、日々、関門海峡のことなど考えずに暮らしているに違いない。当たり前だよね。このご時世、ほかに考えなくてはならないことはたくさんある。しかし僕の場合、〈ホクレア〉が来てから関門海峡のことが気になって気になってしかたなかったのだ。筋トレのページを作っている時も、化粧品の広告のプレゼンに行く時も、そして会社を辞めようという時も、いつもココロのどこかに関門海峡があった。だからヒマになったら、真っ先にここに来ようと思っていたのだ。

そしてついにやって来た。あいにくの雨で写真はボンヤリしているけど、どうですか、この狭さ。これは海というよりも、川でしょう。しかも山の上からでも、潮の流れがはっきりと見える。手前が本州で対岸が九州。目の前で見た印象では、多摩川の河口よりも全然狭いんだけど、こんなところをバカでかいコンテナ船どうしが荷物を満載してすれ違ったりするのだ。潮の干満があり、海の深さが変わるから、時間帯によって通過できる船が制限される。大きな船が通過できるチャンスは一日に二回。満潮の、潮止まりの時間に合わせて、祈るようにここを通過しなくてはならない。
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これは神様の恵みなのかイタズラなのか、本州と九州という大きな島の間に、キチンと運河を掘っておいてくれた。だったらなぜもう少し広く作っておいてくれなかったんだろう。結果的に、これが外敵から日本を守ることになった。僕にとって、こういうことが不思議でならないのだ。

そして〈ホクレア〉もここを通った。ハワイから航海機器を一切持たずにやって来た海のツワモノたちも、さすがにこの海峡を前にビビってしまい、こんな時にキャプテンじゃなくてよかった、と思ったらしい。こういう海が日本列島人を鍛えてきたのだ。凄いだろ。安全快適な陸上交通に頼りすぎて、日本列島人自身が忘れていたワレワレの凄さを、ハワイの人たちが教えてくれたのだった。「海から陸を見ると、この国の美しさがわかるよ」
ここを水先案内したのが、ご存じ西村一広さん。しかしカズさんは〈ホクレア〉を曳航しながら、余裕で写メールを送ってくれたもんだった。
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写真手前の海が、あの有名な壇ノ浦。そして宮本武蔵が佐々木小次郎と決闘する時も、ここから引き潮に乗って巌流島に向かった。日本の歴史の転回点にはたびたび登場する海峡なので、それを物語る碑も多く、歩いてて退屈しないんだけど、やはり目立ったのは長州軍の大砲だった。そう、海援隊の応援を受けて幕府軍を小倉で粉砕したのはこの海峡なのだ。今でも大砲の向こうを大型船が通ると一発ブッ放したくなるけれど、もちろんそんなことを考えてはいけません。

この海峡を、僕は日が暮れるまで眺めてしまったのだった。そして下関を発つ朝も、もう一度ここに来てしまった。僕は「鉄オタ」ならぬ「海峡オタ」あるいは「船オタ」なのかな。でも、「鉄」を自認するようなヤツだったら、ここには一度来た方がいいと思った。ぜったいに気に入るはずだよ。目の前をデカい船が通る姿って、ホントに壮観だから。
# by west2723 | 2010-06-29 07:50 | 陸での話

もっと、農家からのTweetを読みたい!

(下の話の続き)
旅先でたまたま聞きかじった話ではあるけれど、このような問題は、おそらく日本全国の農村でも起きているんだろうと想像する。そしてこれは農業だけではなく、漁業でも林業でも、あらゆる第一次産業の現場で同様に起きているんだろうと想像する。

怖いことだよね。都会に住んでいると衣食住のほとんどを「誰かが作ってくれたもの」に頼っていて、そんな生活が続いていることに何の疑問も感じないけれど、この供給が突然途絶えたらどうなるんだろう。途絶えないまでも、価格がジリジリと高騰することもある。また、すべてが同時に止まることは無いまでも、「食」の一部の供給が止まり、パニックが起きることもある。想像するだけでは何もしないのと同じだけれど、困ったことに行動の切っ掛けとなるような確かな情報があまりに少ない。

ネットがあるじゃん、と思う人も多いはずだ。しかしご存じの通り、玉石混淆の情報を検索しながら必要な情報に辿り着くには、一日中コンピュータに向き合わなくてはならない。しかも肝心の農家のお年寄りたちが自らブログやツイッターやUSTを駆使しながら情報を発信し続けてくれない限り、いつまで経ってもリアルな情報など流れてこない。情報を集めるにあたってネットは万能なものと思われがちだけど、発信者がいない限り、ネット上には情報の空白地帯が生まれる。それが誰の目にもおなじみの、日本の農村なのではないかと僕は思い始めている。

続きはコチラ
# by west2723 | 2010-06-27 22:15 | 陸での話

東京で語られる「green」への提案。

〈ホクレア〉がやって来た頃、たびたび素敵なメッセージを送ってくれたシーカヤックビルダーさんのご自宅を訪ねた。お住まいが下関ということだったので、海峡、港の気配が濃厚な土地を想像していたものの、カーナビの案内した土地は、それとはまったく逆の、ホタルの里とも呼ばれる深い山の中だった。下関市って広いんだなぁ。近所には温泉も多い。田植えを終えて間もない田園風景に、点在する集落。その中に、今夜、僕が訪ねるべき一軒がある。なんだかとてもうれしい。

ご自宅に併設された工房では、木製の骨組みのシーカヤックと、同じく木製で、細長い長方形のブレードを持つパドルが作られている。このパドル、見た目は扱いにくそうなんだけど、水の抵抗が少ないために長距離を漕ぐと疲れの出方がまるで違うらしい。森があるからカヌーができる、カヌーができるから海に行ける、と〈ホクレア・ハカ〉は唱えるけれど、それを実証するような話だ。ちなみにこのパドルは売れ行き好調なようで、何本かの木材がデビューに備えて削り出し作業の途中だった。
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定住促進制度に応募して、この土地に移ってから20年あまり。今ではお子さんも成長されたので、いよいよ本腰を入れて地元の農業の活性化に取り組んでいる。初めて眺めてみる限り非常に豊かな田園風景ではあるけれど、ここでも農村の高齢化は深刻な問題らしい。高齢化すれば、農作業がつらくなることはすぐに想像がつく。がしかし、それは問題のうちのほんの一部なのだ。

「たとえばあそこに川がありますよね。あの川から用水路が引かれていますが、そのためには土手の補修をしなくてはならない。放っておくと、いつ決壊するかわからんし。つまり、田んぼを守るために、そういうキツい仕事もたくさんあるんです。しかもカネがかかる。カネは自治体も出すんですが、その何割かはその水利権を持つ農家も負担しなくてはならない。となると、もう農作業もようできんし、カネまでかかるんじゃやっておられん、ということで、水利権を手放してしまうんですね」

続きはコチラ
# by west2723 | 2010-06-08 20:33 | 陸での話