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雑誌の神さま6〜1993年〜ビル・ゲイツに関する、ちょっといい話

今では幻となったPDA《Newton》の発表をボストンで見た後、いよいよアメリカのハイテク文化発祥の地、サンフランシスコのベイエリアに向かう。ベイエリアとはサンフランシスコ市街を中心に、北はゴールデンゲートブリッジの対岸にあるミルバレーや、サンフランシスコ対岸のバークレー、南はサンノゼ、そしてアップル本社のあるクパチーノあたりまでを指すエリア。ここは音楽好きにもおなじみの土地で、ドアーズ、ジェファーソン・エアプレイン、バッファロー・スプリングフィールドというような「サイケ」な名前がすらすら出てくる。そう言えばザ・バンドの解散コンサート、ザ・ラストワルツが撮影されたのもサンフランシスコのウインターランドだったっけな、なんて思い出していた。

ここでの取材ではいきなり刺激的な人たちに会うことになる。バークレイ・マッキントッシュ・ユーザーグループ(BMUG)だ。この頃、パーソナルコンピュータというものは壊れるもの。それを治せて一人前のユーザーだった。なおかつオリジナルなハイパーカードのスタックを自慢したり、面白いフリーウエアを発見することも多かった。そこでユーザーは地方ごとにユーザーグループを作り、情報交換を行ったりしていたものだ。すでに日本にもいくつかのユーザーグループはあったようだけど、世界で最も大きい組織がこのバークレイなのだという。そのBMUGが月に1回開催するという「集会」に参加してみたのだ。メールには「UCバークレイの大教室で会いましょう」とあった。

何でまた、大学の大教室なんかでやるんだろう、という疑問は会場に着いたとたんに氷解した。とにかく凄い人数なのだ。顔ぶれは老若男女、ホントにお年寄りもいるし子ども連れの夫婦もいる。もっとオタクな集会を予想していたんだけど、顔ぶれとしては休日の映画館のようだった。教室の演壇には先日のボストンで《Newton》を見て来たという人物が報告を行い、それに対する意見や質問はもちろん、時にはヤジのようなものも飛ぶ。何だかこの雰囲気、いつかリバイバル上映で観た映画『いちご白書』みたいだなぁ、と思った。司会はビルと呼ばれるワカモノが担当していたんだけど、彼が何かを言うたびに「くたばれビル!」というヤジが飛び、会場がドッと湧く。

「あのビルってヤツ、よっぽど嫌われてるの? それとも人気者なの?」
何となく、僕は主催者に質問してみた。そして返って来た答えに僕は唖然とする。
「この集会には、ビル・ゲイツがたびたびゲストとして呼ばれるんだけど、司会のビルはそのための要員なんだ。こっちの司会にもビルを立てて、思いっきりビルにヤジを飛ばす。気持ちいいぜ!」
その頃、僕でもビル・ゲイツの名前くらいは知っていた。あの《MS-DOS》を作った人物だ。すでに多くの会社では《MS-DOS》のマシンは使われていたけれど、あんな面倒なものを触りたくないから誰も自らコンピュータを覚えようとは思わなかった。今でもマックユーザーは自分のコンピュータをマックと呼び、他のマシンをPCなんて呼んでいるけれど、それはこの頃の名残なんだろうと思う。

にしても、あのビル・ゲイツがわざわざマックユーザーの集会に出向いて来て、ヤジの応酬を楽しんでいたなんて、まったく想像もしていなかった。 「引っ込め、ビル!」「ビル! お前の話はツマラン!」というようなヤジを笑いながら受け止め、再びビル・ゲイツがマック右翼たちに語りかける。ビル・ゲイツって、けっこう男らしいじゃん。どんな内容だったのかを細かく聞く時間が無くて残念だったけど、あの頃、パーソナルコンピュータ黎明期のエネルギーは、そのような面と向かった議論、というよりもコミュニケーションの中から作り上げられていたのだ。もう今さら、日本に帰ってマックとドスのどっちがエラいか、なんて論争することすらバカバカしくなってきた。

それから2年後、あのビル・ゲイツが全世界に向けて画期的なオペレーティング・システムを発表した。《Windows95》と名付けられたそのOSは、言うまでもなくマックのパクリだった。パクリの分際で、このOSがパーソナルコンピュータの未来を変える! だなどとよく言ったもんだ。しかし、あの集会を見てしまった以上、いいものはみんなで共有すればいいんじゃないか、とも思った。今後、パーソナルコンピュータのOSは、このようなインターフェイスを基本に開発されて行けばいいだけの話だ。とは言え、ビル・ゲイツが1から作り上げる「使いやすい」OSを見たかったけど。

ただし、許せなかったのは《Windows》というネーミングだよなぁ。すでにマックの世界では、フォルダをクリックして現れる四角い窓のことをWindowと呼んでいたわけだし、そこまでパクってはイカンのではないか。ここはもう少し頑張って、ビル・ゲイツのタマシイをOSの名前として表現してほしかった。「マイコンピュータ」という言い方もアカ抜けないよな。アイコンだっていつまでたってもダサくて、クリックする気にもなれない。ということで、15年前のあの集会に戻れるならば、「ビル、オマエって商売こそ天才かもしれないけど、ネーミングのセンスはシロート以下だね」とヤジってみたい。もしかすると、その一言がコンピュータの歴史を変えているかもしれない、なんてね。
by west2723 | 2008-12-17 21:00 | 雑誌作り

雑誌の神さま5〜2008年〜大統領選

今年行われたアメリカの大統領選をニュースで眺めながら、「オマエら、なぜ選挙にこれほどの演出が必要なんだ?」と思い続けていた。両陣営とも同様に、広い会場を借り、印刷されたプラカードを配り、大量の風船が舞い。大変なカネが使われていることは誰の目にも明らかだ。アメリカで「カネのかからない選挙」という公約は通用しないのだろうか。さらに印象的なことは、名も無い聴衆のひとりひとりが候補者の名前を連呼しながら、完全に陶酔し切っているということだった。彼らひとりひとり、家に帰ればいつもの生活が待っているだけだというのに、なぜロックスターのような遠い存在の候補者にあれほど夢中になれるのだろう?

一方で、あのような人たちをテレビで観ながら冷笑しているだけでは卑怯だよな、とも思った。ただの冷笑は何もしていないのと同じことだ。何もしないよりも、現場にいて、現場の空気に触れることの方がはるかに価値がある。いずれ公約を反古にされた時、あの空気に触れた人ほど抗議にも気合いが入るというものだ。プロテストするにも、一本スジが通る。

という一連の大統領選を眺めながら、僕はなぜかハイパーカードに夢中になっていたアメリカ人たちのことを思い出した。なぜそんなことに夢中になれるの? と思わせてくれる人たち。両者の共通点を言葉にするのは難しいけど、あえて言えば「社会に参加している実感」とでも言うのだろうか。コンピュータがなぜ社会参加に繋がるのかと言えば、彼らは常にそれぞれの立場から「この先にはどのような社会が待っているのか」をイメージしていたからだ。

その先には「情報ハイウエイ」が待っていた。今ではインターネットへと呼ばれるようになったこのハイウエイは、日本では未だ単なる情報インフラ程度の扱われ方に過ぎない。しかし彼らアメリカのモノ好きたちは、その時すでに、これが社会との関わり方を変える道具であることを妄想していた。アメリカ人って、常に社会の変化に関わりたいという欲望を抱えているのかもしれない。

バラク・オバマが登場する以前から、アメリカ人は「Change」という言葉が好きだったように思う。この取材の時にも「これからはコンピュータが世の中を変える」という言葉を1日に1回は聞いたもんだった。そのあたり鈍感な僕は、な〜ぜコンピュータと世の中の変化が結びつくのか、さっぱりわからなかった。ま、政治の世界に限って言えば、アメリカ人以外の目には「Changeのつもりが相変わらず同じことを繰り返している」ように見えてしまうんだけどね。ということで、次回から再び昔話に戻ります。(続く)
by west2723 | 2008-12-17 01:49 | 雑誌作り