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雑誌の神さま4〜1993年〜ハイパーカード

ボストンに到着してしまえば、あとは予定表に従って移動して行くだけだ。1日あたり3〜4件の取材をこなす。その多くが病院かグラフィックデザイナーの自宅だった。
「このハイパーカードってカルテを作るのにちょうどいいんだよな」ということで、お医者さんの間には急速にマックという名のおもちゃのようなコンピュータが流行り始めていた。

ハイパーカードとは当時のマックを買うとついてきたオマケのアプリケーションで、あえて言えばデータベースのようなもの。ただし、最初は真っ白な白紙状態で、そこにユーザーが文字を入れたり写真を貼ったり音を入れたりしながら、自分専用のソフトに育てて行くというオモムキのソフトだった。ひとつの画面に写真や音が混在しているなんて今でこそ当たり前のことだけど、この頃、ほんの15年前にはもの凄いことだった。カッコいいことでもあった。そんなことがマウスひとつでできてしまうことに、なぜあれほど驚いたか、今では誰にも想像できないかもしれない。

「僕はコンピュータの専門家ではないけれど、試してみる価値はあると思ったんだ」
ということで、そのお医者さんはカルテをデータベース化し、病院内のLANに乗せた。日本もアメリカもお医者さんの忙しさは変わらないと思うけど、こんな作業をまるでおもちゃのようなコンピュータでやろうとするお医者さんなんて、あの頃の日本にいたのだろうか? 

アメリカにはこのような「いい意味での単なるモノ好き」が多いんだなぁ、と、その時に改めて思ったもんだった。その後に出会った学校の先生もミュージシャンも自転車選手も、みんな、今となってはプリミティブ極まりないハイパーカードと格闘していた。そして、コンピュータの専門家でも何でもない彼らはどうにか自分なりのソフトを作り上げ、悦に入るでもなく、まるで住所録でも取り出すように普通に使いこなしていた。

これを日本でやろうとすると「オタク」と呼ばれてしまうんだろう。この違いはいったいどこから来るのだろう。日本には守るべき文化が多い。しかし、文化を創ることは苦手なのかもしれない、と思い始めた。変化を好まず、変化を受け入れることが苦手。新しいものをシリアスに考えることはできても面白がることができない。独自の道を拓くことができない。世界に誇るべき日本の文化は、あくまでも熱心な一部の人がいたからこそ作られただけで、僕を含める多くの日本人にとって、文化とは誰かの後を追うことでのみ享受されてきたに過ぎないようだ。

あの頃、多くの日本人がマックをただのワープロとしてしか使えなかったように、コンピュータを巡る環境がこれほど充実した今でも、インターネットと自分との関係、ナマの社会と自分との関係、地球環境と自分との関係……何もかも少しも変わっていないように思えてしまうのだ。(続く)
by west2723 | 2008-11-25 02:14 | 雑誌作り

雑誌の神さま3〜1993年〜初体験、"パソコン通信"によるアポ取り

全米の際立つマックユーザーを取材したい。なんて大見得を切ってしまったけれど、取材は2ヶ月後にスタートさせなくてはならない。いったいどうやって相手を探せばいいのだろう。まとにかく、当時のMacにはユーザー同士がパソコン通信できるシステムが用意されていたので、拙い英語でまだ見ぬ相手に呼びかけてみたのだった。
「こんどの8月、ジャパンのマガジンがアメリカに行きます。目的は、あなたがMacをどのように使っているのかを見せてもらうためです。上旬はボストンに、中旬はサンフランシスコに、下旬はロサンゼルスにいますので、時間の合う方は連絡ください」

まあ、5〜6件くらい引っかかってくれれば後はどうにかなるかな。なんて思っていたんだけど、それはとんでもない誤算だった。翌日から1日100通を超えるメールが舞い込み始めたのだ。これでは取材相手を絞るだけでも2ヶ月経ってしまう。そして何より、メールをくれた相手の豪華な顔ぶれを見て、絶句してしまうのだった。ホントにこんな人たちと雑誌を作るのかよ……。

ハービー・ハンコックからは「7月に日本に行くから、まず会って話だけでもしないか」とのこと。8月に改めて自宅で取材するといい、とまで書いてくれていた。スティーブ・ウォズニアク(ジョブズと共に、アップルを創業した人物)は上旬だったら自宅にいるけど、どうにか都合はつかないの?というような返事をくれた。他にも、コンピュータの上に初めてゴミ箱を作った人物、ハイパーカードを作った天才プログラマーなどなど、贅沢きわまりない取材名簿が出来上がって行った。

コンピュータの専門職以外で、非常に目についたのはミュージシャンとグラフィックデザイナー、続いてお医者さんと雑誌編集者。そうそう、雑誌『Wired』の編集部に行けたことも、今となったら僕のその後を左右する大きな出来事だったと思う。古い倉庫を改造し、ポップな色にペイントされたドラム缶を並べ、その上に天板を渡してデスクを作る。そんなシンプルでありながら明るい編集部のようすに、やっぱ雑誌ってこのくらい身軽じゃなきゃなぁ、なんて、ココロから共感したもんだった。

ところで、なぜ急にコンピュータの話なんて始めたんだろう? と思う人が多いかもしれない。その答えは、このシリーズの終わり頃にわかる予定なので、とにかく書き進めて行きたいと思います。(続く)
by west2723 | 2008-11-24 22:53 | 雑誌作り

雑誌の神さま2〜1993年〜スクリーンセーバー

「たしかに、これからしばらくの間はコンピュータが面白いかもしれないね。ただし、このテーマで雑誌を作ろうと思うんだったら、今見ることのできる一番いいものを見ておかなくてはいけない。いいものを見るためにカネを惜しんではいけない。ケチなヤツに雑誌なんて作れないし、ケチなヤツというのは口数だけは多いけど、決して世の中を動かすことなどできないんだ」
初めて個人的に買ったコンピュータ〈Macintosh Color Classic〉のスクリーンセーバーが起動した時に、雑誌の神さまはモニターに勝手に現れ、およそ冒頭のようなことを語っていた。

ところでこれは……いったい何なんだ。あんたは誰なんだ。そして何より、どうしてテレビみたいに画面が動くんだ……。もしかすると、コンピュータが出荷される時に仕組まれたイタズラなのかもしれない、と思いながら、うっかりマウスを触ったら、スクリーンセーバーは落ちて、いつものデスクトップに戻っていた。以降、何度スクリーンセーバーを起動させても、神さまの姿は現れなかった。

それから間もなく、10日も経たない頃に、アップルコンピュータからの仕事が舞い込んだ。「これから日本市場に本格参入するにあたり、Macintoshをテーマに1冊作ってもらえないか」というものだった。「Macを広く認知してもらえる内容であれば、どのようなものでも構わない。制作費はもちろん、雑誌が1冊も売れなくても赤字を出さないよう、十分な予算は用意している」
もうすでにバブル経済も終わって、失われた10年のうちの2年目くらいに入っていた頃だったと思うけれど、今思えばけっこう気前のいい話だった。

「だったらとにかく、アメリカに行かないと話にならない」と僕は答えた。この頃、盛んに語られ始めた「情報ハイウエイ」とは何なのかを見ておきたかったし「何よりもまず、コンピュータを文房具に変えてしまった人たちのカクメイ的な発想を見ておきたい。それさえできれば、彼らの現場での姿や、これを使いこなしているユーザーたちのようすを伝えるだけで、この雑誌の使命は自ずと全うできるはずだと思う」というような言葉を、僕は流れるように語った。つまり、いちばんおいしい部分を見ながら、いちばんラクな方法で雑誌を作ろうというわけ。僕なんて、それまでコンピュータにはほとんど関心の無かったビギナーなのに、うまく行く時はいつもこうなのだ。
by west2723 | 2008-11-24 21:59 | 雑誌作り

雑誌の神さま

もうそろそろ人が少なくなってくる夜の9時頃、編集部を出たところにある廊下兼ロビーのような場所で校正に集中していたら、ふと背中に強い視線を感じた。わかる、わかるよ、この感じ。僕の行動がすべて見透かされているようなこの気分。雑誌の神さまが現れたのだ。最後に彼に会ったのは5〜6年も前のことだけど、相変わらず元気にしていたようだ。

ゆっくり振り向くと、神さまは廊下の隅にある階段を下りて行こうとしていた。僕は後を追ってみた。しかし階段に彼の姿は無く、一階まで下りても誰の姿も無かった。「たった今、ここを誰かが通りませんでしたか?」守衛室に聞いてみても「いや、誰も通らなかったねぇ」とのこと。いったいどこに隠れているんだろう。そして今度は、僕に何を伝えに来たんだろう。

僕と神さまのつき合いは、もう20年ほどになる。ほぼ5年おきくらいに何のアポイントも無く現れて、「今度はこれをやろうよ」と言い残して行くのだ。そして後には雑誌が残る。
ある時にはコンピュータのモニターに突然現れた(まだコンピュータで動画など見ることのできない頃に、彼は動画となって現れたのだ!)。ある時には世田谷の環八沿いにある自転車屋さんでMTBを選んでいた。またある時にはハワイからやって来るという、大きなカヌーに乗って現れた。

さてと。今度は僕の身の上に何が起こるというのだろう。今すぐ聞いてみたいところだけど、何となく、後を追ってはいけないような気がする。なのでこうしていつもの通り、校正を見たり写真を選んだり企画書を書いたりしていようと思う。実を言うと、ぼんやりと次のテーマが見え始めていたところなのだ。神さまは僕にそれを伝えに来たのだろうか。それでいいんだ、と言うのか、そっちには向かわない方がいい、と言うのか、そればかりは本人に聞いてみないとわからないことなんだけど。
by west2723 | 2008-11-24 13:32 | 雑誌作り

サバニ記念日

昨日11月3日、文化の日。葉山の大浜海岸ではサバ二の進水式が行われました。夕方までやっていると勝手に思っていた僕は、のんびり出かけて行って見逃してしまったんだけど、大浜海岸に帆をかけた古式サバニの浮かぶ姿がしっかりと撮影されていました。これってけっこう画期的というか歴史的なことだと思うんだけど、どんなもんでしょう。
by west2723 | 2008-11-04 02:53 | 海での話

テレビ新広島の新番組、劇的に制作中

メディアの世界では最も〈ホクレア熱〉に冒された人物と思われるテレビ新広島のダミさんが、この連休に関東に現れた。サッカー中継の合間を縫いながらハワイに通っているという。かつて〈ホクレア〉の取材で出会ったハワイ在住、日系二世のお婆さんの縁者が広島にいる、という情報を手がかりに、番組を通じて彼女の親戚を捜し出すというドキュメンタリーらしい。自分の血縁を知らないまま孤独に80代半ばを迎えた彼女にとって、この試みがどれほど救いになったことだろう。

オンエアは来年3月の予定らしいけど、例によって全国ネットで観ることはできない。まぁ、今回はハワイと広島で完結する話なので、ローカル放送になることは当たり前なのかもしれないけどね。
それにしても〈ホクレア〉の追っかけで見せつけてくれた地方のメディアのパワーやハートやフットワークなどなどを、ここで再び全国に見せつけてやってほしいと思うよ。キー曲にいたら、なかなかこんな企画は通らないんだろうと思うから。

こんな話を聞いていると、〈ホクレア〉の蒔いて行った種が着実に芽を伸ばし始めたことを実感するわけだけど、さらにうれしいことは、この取材をハワイ州観光局がサポートしており、彼らもスタッフとして帯同していたということなのだ。日本航海を終えて以降、再び観光局本来のビジネスに戻ったとばかり思っていたけれど、とんでもない。今なお日本航海の意義をディープに追究してくれていたというわけだ。

あの頃は、観光局の一見ビジネスライクなモノゴトの進め方に批判が集まったものだけど、あのような雑音を跳ね返す強い「意志」が無いと、とてもじゃないけど気まぐれな〈ホクレア〉を無事に横浜にゴールさせることなどできなかったはずだ。そして今、ほとんどの人が〈ホクレア後〉を模索している中、彼らは相変わらず日本航海を続ける「意志」を失っていなかったというわけ。これはあまりにお人好しな解釈なのかもしれないけれど、それでいいのだ。少なくとも、僕はこういう話に元気が出てしまうタイプなのだ。

誰でも思いつきでアイデアくらいは出すことができる。しかしアイデアを行動に変え、続けるということは、なかなかできないことだ。思いついたことを人にやらせようという人は多いけど、自分で始めようと言う人はなかなかいない。……言いたいことは山ほどあるけど、とにかく頑張らないとね。
ところでその番組、関東でオンエアされるためには、ギャラクシー賞でも取ってもらうしかないな。ダミさん、もうひと越え、頑張ってみてよ。
by west2723 | 2008-11-04 00:37 | 陸での話

BAY FM

内野加奈子さんのブログで紹介されているBAY FMでのインタビュー全文を読んでおきましょう。この10月、内野さんがトークイベントで語っていたことが、ここに集約されています。
by west2723 | 2008-11-03 01:37 | ホクレア