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最終回 〜 あるべき姿に戻る

まだまだ残暑が続いているけど、日は確実に短くなってきたし、日差しにパワーがなくなってきました。そう、〈ホクレア〉と共に過ごした今年の夏は、ようやく終わろうとしています。
各寄港地で〈ホクレア〉を迎えた人たちも、歓迎を受けたクルーたちも、今ではすっかり元の生活に戻っていることでしょう。ということで、僕もそろそろこのブログに一区切りをつけ、いずれまた、違うカタチで皆さんにお会いしたいと思っています。

最後くらい何か気の利いたまとめでもしておきたいところですが、あれほどの経験をまとめるなんてとてもできない。僕の回りでも、〈ホクレア〉に関わった多くの人がこの夏の経験を文章にまとめておこうとしていますが、みんな「やっぱ、ムリだわ」とギブアップしている模様。〈ホクレア〉のメッセージをすべて伝えようなんて思うと、いつまで経ってもこのブログは終わりません。あれほどのショックから立ち直るには、まだまだ時間が必要です。

しかしムリを承知でまとめるならば、〈ホクレア〉のメッセージは、「あるべき姿に戻ろう」という言葉に集約できるのではないか。その姿とは具体的にどのようなものなのかを話し始めるとこれまた長くなりますが、〈ホクレア〉やクルーの姿に、人それぞれの思いの中にある「人としてのあるべき姿」を見出したからこそ、これほど多くの人の心が動いたのではないかと思っています。
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日本で初めて見る〈ホクレア〉は、あまりにシンプルな姿をしていました。ちょっと隣の島まで行ってくる、というんならともかく、あの装備で、風の力だけで、ハワイからミクロネシアを回って日本までやってきたなんて、実物を目の当たりにして初めて、その凄さを思い知りました。もちろん計器らしきものなんてどこにもなかったけど、ナイノアは「GPSの歴史よりもカヌーの歴史の方がはるかに長いんだ」と涼しい顔で答えてくれたもんです。

「GPSもテレビもコンピュータも、単なる箱に過ぎない。たしかにその箱は役立つ情報を提供することがあるかもしれないけれど、その情報が役に立つかどうかを見抜く方法までは教えてくれない」
判断力のあるオトナであればともかく、子どもたちまでも「箱」に頼るクセをつけてしまうことが非常に危ないんだとナイノアは言う。
「たとえば雲、たとえば風、たとえば波。自然の中にもたくさんの情報が隠されている。それを読み解き、知恵に変え、自然と共に生きる能力が、このままでは人間から奪われてしまうかもしれない」

それは自然の中に限った話ではなく、人と人との1対1のコミュニケーション、あるいは個人対組織のあり方、リーダーシップの取り方、などなど、人間社会においても全く同様です。多くの人が生身の人間と付き合えず、生身の人間が発するサインを読み解く能力を失えば、この社会はいずれ遭難してしまう。しかし、箱はそんなことなどお構いなく、人を錯覚に陥れるだけ。「知っている」という気にさせるだけです。人付き合いなどしなくても、ウェブをまさぐれば生活に困らない程度の情報は手に入る。ココロの通う会話などできなくても、ブログの主催者くらいにはなることができる。

だからこそ、仲間と力を合わせないと無事に海を渡ることができない、カヌーの上では誰もが家族である、などという、口にするだけで赤面してしまうほどシンプルな言葉が〈ホクレア〉を前にすると誰のココロにもそのまま届く。だから多くの人は癒され、中には涙ぐむ人まで現れるのでしょう。いいんです、それで。泣きなさい、笑いなさい、なのです。ただし〈ホクレア〉がいなくなってしまったからと言って、いつまでも寂しがっていたり、あの場で思ったことを忘れてしまっては何にもならない。これからは自分たちが〈ホクレア〉になればいいんだと、僕は思うことにしています。
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僕自身は、これから少し身近なものに目を向けて行くつもり。それこそ家族とか、仲間とか、見慣れた風景とか、地域とか、仕事とか……。遠い世界で起こっているニュースも大切だけど、身近なモノゴトに目を向けないで、どうしてニッポンの政治とか文化とか天下国家を語ることができるでしょう。頑張りましょう。ま、たしかに、シゴトってかったるいけど。

上の写真は僕が長年夢に見ていたシーンで、"江ノ島を背景にした〈ホクレア〉"。そして下の写真は今年の1月、ハワイ島での出航セレモニーを終え、眺めた"西の太陽"です。撮影しながら「あの向こうに日本があるんだぁ……」なんて思っていたのは、もうはるか昔のことのようだよ。

ということで、そろそろこのブログもお開き。とは言え、せっかくここで知り合えた方々には、今後も何らかのカタチでおつき合いいただければサイワイです。以前メールアドレスをお知らせいただいた方には、また何か始める時に連絡差し上げます。逆に、何かあればいつでも連絡をください。まだの方、よろしければ非公開メールでお知らせください。
僕は決してハワイ通でもカヌーマニアでもないけれど、〈ホクレア〉が教えてくれたことや、カヌーや島や地球に関わるココロあるイベントには、できる限り参画します。いずれにしても、ここで皆さんと共有した価値観は、何らかのうねりと共に、いずれ再びひとつにまとまる予感があります。

それでは最後の業務連絡。
●国立民族学博物館特別展『オセアニア大航海展 ヴァカ・モアナ 海の人類大移動』 
9月13日〜12月11日
*なお9月22日〜23日、『オセアニアの偉大なる航海者たち』と題された国際シンポジウムが予定されています。内田正洋さんも出席すると言ってました。
内野かなこさんのトークイベント
タイトル:「ホクレアー伝統航海カヌー、ハワイから日本への航海」
講演者:内野加奈子(海洋写真家)
日  時:平成19年9月23日(日)13:00〜と15:00〜(計2回) 
会  場:国立科学博物館地球館地下2階、人類の進化展示室 ディスカバリーポケットにて
内  容:スライドやDVDを交え、星や波や風を使って海を渡るハワイの伝統航海カヌー、ホクレア。今年春行われた、歴史に残る日本への航海の様子や、伝統航海術のお話をお伝えします。
●テレビ新広島制作、ホクレア号日本航海ドキュメント『光の海道〜ハワイからの贈り物』
山口地区のみオンエアが決まりました。早く全国でやろうよ。
@TYS(テレビ山口)10/28(日)13:54~14:49(予定)。

以上です。
それでは1年間、おつき合いありがとうございました。このページはしばらく置いておきますので、コメントの交換はこれまで通り続けましょう。
これからも皆さんが、健康で、幸せな日々を送ることができますように願っております。マカさんは言ってたよ、「明日はいつも新しい」って。最近、その言葉が身に染みてナリマセヌ。まはろ!
by west2723 | 2007-09-17 13:10 | ホクレア

ホクレア・デイズ

このブログの4月〜6月あたりを読み返してみたら、やっぱり面白いね。なんて、決して自分のブログを褒めているわけではなくて、あの頃は奇蹟のような毎日だったんだなぁ、と、改めて思い出してしまったわけです。やはり、記録に残しておくというのは大切なことだと思う。あれほど期待していた日本航海、危険であるとはさんざん聞かされていたので、沖縄に到着して以降の緊張感は未だ僕のカラダからは抜けません。がしかし、始まってしまえば雑誌編集者に海の上で手伝えることなどあろうはずもなく、航海の無事を日本の海のプロに任せる以外にありませんでした。

緊張の中にも、西村一広さんの穏やかな表情を見ている限り大丈夫なんだろうと思った。関門海峡から写メールを送ってくれる余裕、驚いたね。西村さんが〈ホクレア〉を安全に次の寄港地へ届けることに集中しているならば、一方の内田正洋さんは、クルーの生活や待遇を気遣っている印象。何たってすべては海の上で進行しているのだから、陸上からいろいろ言ったところで何の役にも立たない。だからこそ、〈ホクレア〉が無事に寄港地に現れる姿はカッコ良かった。無事に海を渡るということは、陸から見ればそれだけで神業であり、それを毎回、僕たちは寄港地で目撃していたのだ。
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僕にとって忘れられないシーンは、沖縄本島の沖にホントにやって来た〈ホクレア〉と〈カマヘレ〉を見つけた時。そして、そのまま8時間ほどエスコートしながら真っ暗闇の糸満港までやって来て、港に用意された照明に〈ホクレア〉の神秘的な姿が浮かび上がった時(ちなみにあの照明、もともと港には用意されていなかったため、内田正洋さんが急遽近くの自販機から電源を取って用意したものらしい)。あの姿を見た時、なぜか僕は「この船、ホントに〈ホクレア〉だったんじゃん」などと、奇妙なことを言ったような気がする。

そして七里ヶ浜の沖で聞いた〈ハカ・ホクレア〉。あれを聞きながら、僕は〈ホクレア〉が長年追うに値する存在だと確信した。そして最後に、伴走艇に乗りながら〈ホクレア〉と共に眺めた広い横浜港。子どもの頃から幾度となく通った山下公園を、海から見るのは初めてのことだった。ぷかり桟橋は、まだはるか遠くに見えた。先導するヤンマーのボートの到着が遅れ、ベイブリッジを潜ってから港の上でしばらく待機していた、とても静かで、そして幸せな時間。その後、曳航索を外してセイルを動かしながら再び自力で進み始めた〈ホクレア〉は、大きな蝶のようでもあったな。
by west2723 | 2007-09-16 01:04 | ホクレア

ハワイがわかれば自分がわかる

「自分はいったい何者で、どこから来て、これからどこに向かうのか?」
ナイノア・トンプソンはどの寄港地に行っても、そんな問いかけを行っていた。そして、この言葉の意味についてはここで解説するまでもなく、ナマで〈ホクレア〉を見ることのできた多くの人には伝わっていたと思う。あの航海カヌーがハワイアンのルーツを探るために作られた、というストーリーを知る人にとってはもちろん、知らない人にとっても、なぜか見る者のDNAに訴えてくることがあった奇妙なカタチの船、正確にはカヌー。となると今後、大切になってくることは、見る機会の無かった人に、見た人がこの意味を伝えて行くことだと思う。

でもね、難しいよね。
「あのように筏のような小さな船がハワイから日本に来たというだけで、なぜそこまで大きな話に繋がって行くわけ?」
ナマで〈ホクレア〉を見ることのできなかった(しかし見れば何か思うことがあったはずの)多くの人は、きっとそう思うに違いない。〈ホクレア〉は文学でも音楽でも政治でも宗教でもなく海に浮かんでいるだけの船なのに、なぜそんな大きな話に飛躍してしまうのか。簡潔に説明できない。
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しかし今、世界中の多くの場所で、似たようなことを考えている人は多いに違いない。海など見ることもできないような大陸のど真ん中で爆撃に怯えながら暮らす人々や、海面が上昇してしまうことによって、これまで自分を育んでくれた海から住処を追い出されようとしている人々。誰にとっても、自分の命や、家族との繋がりや、友人や、そしてそれを見守ってくれる風景が危機にさらされた時、冒頭の問いが繰り返され、生き抜くエネルギーに変えているに違いないのだ。
「自分はいったい何者で、どこから来て、これからどこに向かうのか?」

そんな危機感を、平和に暮らす中で知ることができた僕たちは奇跡的に幸運だったと思う。平和を当然のこととして、衣食住に不自由が無い場所にいてそんなことがわかったんだから、そのヨロコビを知り、守り、伝える体力は充分。恵まれた環境に住む以上、それなりの努力をしなくてはいけない。シロートの僕たちでさえ頑張ろうと思っているんだから、その道のプロである研究者の方々には、さらに頑張ってもらわなくてはいけない。「なぜカヌーで世界平和がわかるわけ?」という問いに対して、研究室から離れたわかりやすい言葉で答えてあげてください。お願いしますよ!

僕は〈ホクレア〉を追いかけるためにハワイのことを少しは勉強し、ハワイには仲間も増えたし、大好きになったスラッキーギターの練習も始めたし、サーフィンやアウトリガーカヌーが一生モノの趣味になりつつある。島国ハワイに育まれた知恵って、何度も言うけど僕たち日本列島人のDNAとの相性がいい。寡黙にして謙虚で、しかも勇気があり、礼儀正しくて義理人情にも篤い。そんなハワイの人たちと接しているうちに、日本が失いつつあるものの重みを感じることになる。日本航海を通じて日本から〈ホクレア〉に発信した「平和に暮らすための島の知恵」も多かったんだろうけど、その価値は〈ホクレア・クルー〉には届いても、肝心の日本人には見えなくなってしまっていた。

いずれにしても遠く離れた土地の文化を学ぶ理由は、「自分とはいったい何者なのか」を知ることに尽きるのではないか。学ぶべきものは自分であり、自分を支える家族についてであり、縁ある人々であり、地域であり、仕事であり、風景であり……、そして、お互いに同じような思いを抱えながら遠い土地に住む相手であり、仲間であり……。そして、そのような愛すべき人たちが、お互いに逃げ場のないカヌーの上、海に囲まれた島の中、水を、食料を、資源を、土地を、自然環境を、分け合い、あるいは奪い合いながら、真空で、絶対零度で、光さえもない宇宙に漂う地球で共に暮らしている。

長い航海の果て、初めて陸を見た内野かなこさんは言っていたっけ。
「あそこには水があって、緑があって、人々の生活がある。そんな当たり前のことが、とても奇跡的なことに思えたんです」
はたして、その陸は平和でしたか?

うわお、酔っぱらって書いているうちにずいぶん話が大きくなってきたぞ。今日でこのブログを終わらせようと思って書き始めたんだけど、このワタシ、何か大きなこと言い過ぎてますか? ということで、夜書いた文章は翌朝見ると恥ずかしいことが多いもんで、明日また書き直すことにして、今日はこのくらいにしておきます。この週末、最後の一回を書いて、その後の段取りを考えたいと思います。おやすみなさい。
by west2723 | 2007-09-13 21:25 | ホクレア

ホクレア号、世界一周

「普通、航海の後の1年くらいは、クルーも航海士も航海の話などしたくなくなるものなんだ。あれほどつらい経験は、しばらく思い出したくもないんだろうね。でも、今回は違った。みんな、ハワイに帰ると共に次の航海の話を始めているんだから」と、7月のシンポジウムで再来日したナイノア・トンプソンはうれしそうに語り始めた。そして「ホントはまだ話すつもりは無かったんだけど」と前置きしながら、〈ホクレア〉が再び西に向かい、そのまま地球を1周する計画(と言うよりも、この段階では「希望」に過ぎないんだろうけど)を明かした。「きっと、違う文化圏に行ったということが全員の刺激になったんだと思う。こういう航海のありかたもいいね、という具合に」

〈ホクレア〉には次の目標が見えてしまったのだ。そんなカネがどこにある、なんて一笑に付すのは簡単なことだけど、彼らがやる気ならできる限りの応援をしようと思うのが縁あった者の務めなのではないだろうか。今のところ語られているコースはハワイ〜ニュージーランド〜オーストラリアを左回りに〜東南アジア〜インド〜(アラブのあたりは不明)〜紅海〜スエズ運河〜コルシカ島(ここはナイノアの遠い祖先が住んだ土地だという)〜ジブラルタル海峡〜ダカールなど、アフリカ西海岸〜ブラジル〜カリブ海〜パナマ運河〜カリフォルニア〜ハワイ、という具合。

宇宙船は太陽系を離れて、いよいよまだ見ぬ大宇宙に向かうということなのかな。セイリング文化の根付いたヨーロッパの国々では、おそらく日本以上の国家的な歓迎を受けることもあると思う。しかし〈ホクレア・クルー〉が「冒険者」として称えられることはあっても、カヌーが島であり、地球であるという〈ホクレア〉のメッセージそのものが、果たして世界に通じるもんだろうか? この感覚は日本人には理解しやすかった。カヌーやクルーの姿を見るだけでメッセージが伝わる「島国的な以心伝心」が日本にはあった。しかし大陸の人たちにはまだまだ、地球が島であるなんて感覚は理解し難いんじゃないかと思えてならない。

だからこそ、やる価値があるんだけどね。船が侵略の道具であった国々に対して、カヌーが生存の道具であった太平洋からのメッセージ。ハワイという小さな島が世界を変えてしまう可能性だってある以上、僕はぜひともこの航海を応援したいと思っている。
by west2723 | 2007-09-11 02:21 | ホクレア

ワカッテナイからできなかったこと、できたこと

一昨年の夏、「今〈ホクレア〉が来てもヤバイ! まだほとんどの日本人は〈ホクレア〉なんて知らないし、このままでは出迎えさえできないかもしれない」と思う人たちで集まったことがある。ネットやクチコミで繋がり始めた〈ホクレア〉を応援しようという人たちが、初めてミーティングを持ったのだ。メンバーは大学の先生や博物館の人や海関係のジャーナリストや冒険家などなど、つまりシゴトではあまり会う機会のない人たちだった。〈ホクレア〉は実に様々な分野の人を必要とする、つまり多様性に富んだ集団を作り出すものだけど、この時から原型はできあがりつつあったようだ。

多様性があるだけにカバーできるフィールドは広がる。しかも皆さんそれぞれの分野で充分に知られた方々なので〈ホクレア〉を盛り上げて行く上で心強いメンバーだと思った。そして要所要所に海のプロが加わってくれればいい。たとえば内田正洋さんが各寄港地の仲間に声をかけてくれて、西村一広さんのような人が〈ホクレア〉を各寄港地にエスコートしてくれれば組織の概略はできあがる、などという具体的かつ楽観的プランを勝手に思い描いてたもんだった。

しかし、あの頃はクルーが延べ200人にもなるとは誰も想像していなかった。伴走艇には強力なエンジンが必要なことも、〈ホクレア〉を船積みで帰すことも、そして伴走艇は自走で帰ることも、誰も知らなかった。そして肝心の〈ホクレア〉も、日本の海域に入ることがどれほど危険なことかをまるで知らなかった。もしもあの組織のままで来航直前にこんな事実を突きつけられたとして、いったい誰がリーダーシップを執ったのだろう? クルー200人分のエアの手配は? 宿の手配は? 各寄港地への連絡は? 地元漁師さんへの協力要請は? 各実行委員会の横の連絡は? そして時々刻々変わり続けるスケジュールへの対応は? いったい誰が統括して行ったのだろう?

などなど、今思えば怖くなることばかり。いかに〈ホクレア〉をめぐる各分野での専門家が集まったにせよ、イベント全体を展開するノウハウやカネがあるわけではない。仮にあったとしても、2カ月以上もの間、いったい何人の職業を持つオトナがシゴトを休んで〈ホクレア〉につき合えただろう。結果は1つしかない。うまく行ったんだからそれがすべてだとも言えるけど、僕は今後のためにも、このような善意の集まりには特有の「甘さ」があることを認識しておいた方がいいと思う。

それは「自分のフィールドで善意を払えばそれでいい、これ以上のシゴトはその道の専門家に任せよう」という感覚。その結果、善意は払うけど最後まで「誰も」責任を負わないという事態が起こる。たとえばビーチクリーンイベントにやって来て一生懸命ゴミを拾っても、集積所に置いて帰ってしまうだけではビーチクリーンにはならない。集まったゴミを焼却場に運び、分別や消却にかかる費用を払って初めてシゴトは終わるのだ。

ましてこれはゴミを集める程度のボランティアではない。日本の海や日本の法律がまったく経験したことのない大きさのカヌーが命がけでやって来て、傷ひとつつけずにハワイに帰さなくてはならないという前代未聞のイベントなのだ。善意だけではとても太刀打ちできる相手ではなかった。これは今後いろいろ始まるであろう〈ホクレア〉後の活動にとって、非常にいい教訓として是非ともココロに留めておかなくてはならないはずだ。

結局、今回多くの人々が〈ホクレア〉に見た理想も未来も夢も勇気も、ハワイ州観光局の人たちの登場がなければ何も見ることはできなかったはずだ。そして観光局の人たちは、多少の罵声は覚悟しながらも、ココロを鬼にしてスケジュールを遂行しなくては、とてもじゃないけどあれほど気まぐれな集団を無事に横浜まで到着させることなんてできなかった。にも関わらず、きっと彼らも、例の「ワカッテナイ」攻撃に晒されたんだろうなぁ、と想像する。

「海のこと、ナンニモワカッテナイ」「クルーの待遇がナッテナイ」「スケジュールのことしか考えてイナイ」などなど。しかし、たとえワカッテナイとしても、それをサポートできる海の専門家が集まっていたんだから、お互いの役割をキッチリと分けて、海の安全は彼らに任せ、観光局の人たちはスケジュールの番人に徹したことが日本航海成功の大きな要因だったと思っている。いちいちみんなの言うことを聞いていたら、次に進めないでしょう? あの混沌とした現場を見ながら、僕はいつもそう思っていた。何をやるにしても他人が一生懸命やっていることに対してモンクしか言えないヤツは必ずいるものだけど、そういうヤツは〈ホクレア〉の前では何の役にも立たない。これは誰も経験したことの無いイベントなんだから、気づいた人が動く以外に何も解決しないのだ。

一昨年の夏、日本航海の行く末を心配して集まったメンバーは、そのまま東京海洋大学でのシンポジウムの主催者となって再会できた。もしかすると、あのシンポジウムは彼らや僕にとって最良の結末だったのではないだろうか。いちばん美味しいところをいただいちゃったのかもしれない。そしてシンポジウムの参加者の中には、すでにシゴトを離れ、リラックスした表情のハワイ州観光局の人たちがいた。あの日の彼らは、ようやく観客の一人として〈ホクレア〉の物語を楽しんでいるという雰囲気だった。ココロの専門家とビジネスの専門家、そして〈ホクレア〉を無事にエスコートした海の専門家、共に日本航海を支えた人たちが互いを補い合い、大きな対立を残すことなく、こうして最後に集まれたことが僕には何よりうれしかった。ささやかなことかもしれないけど、こんなところにも日本航海の成功を感じたのだ。
by west2723 | 2007-09-08 23:42 | ホクレア

誰のものでもない

雑誌は出したものの、雑誌の看板を離れれば僕なんてただの石ころで、〈ホクレア〉を歓迎するにあたっては小さな細胞に過ぎない。そんな細胞もネットによってニューロンを伸ばし、組織のようなものを作り始めていた。器官というよりも組織。脳になるには最低でも100億を超える細胞が必要らしいけど、僕の場合は大腿四頭筋の1本分くらいにはなれたのかもしれない。何たって、全国のシーカヤッカーやセーラー、つまり海を「ワカッテル」人たちが集まってくれていた。心強かった。

そんなしがない筋線維のもとに、1通のメールが届いたのは2005年の初夏。差出人はハワイの日本総領事とあった。心当たりはなかったけれど、その丁寧な文面を読みながら、僕は驚いて5分後にはフリーズしていた。曰く「日本のどなたにお知らせしていいかわからず、とりあえず〈ホクレア〉の雑誌を出版した方にお送りします」「〈ホクレア〉の日本航海が決まり、詳細は近日中にPVSから発表されます。内容は添付書類の通りです」「この書類は、寄港にあたっての協力を仰ぐ各地方自治体の知事さま宛にもお送りしています」「出航の予定は、まずミクロネシアに向けて12月末。日本には3月到着を目標にしています」

ガセでないことはすぐにわかった。PVSに近い人に電話で問い合わせてみると、決まったかどうかはわからないけど、そんな話はいつも出ている、という返事。「具体的に何か急ぐ理由でもあるの?」「少なくともマウ・カヌーを届けなくてはならないでしょう。マウもご高齢なので、急がなくてはならないでしょうね。台風シーズンを避けなくてはならないから、ハワイを出るチャンスは年末しかないらしい」。決まったわけではないと思う。決まったかどうかは、日本に向けて出航する時までわからない。そんなニュアンスが伝わってくる。それじゃあ出迎えの準備なんてできっこないよなぁ。

僕はマウ・カヌー建造開始のセレモニーには出席していたので、いよいよできるんだなと思った(実際に完成したのは今年の1月だったんだけどさ!)。
「カヌーの名前は〈木から落ちたパンの実〉だったかな。つまり誰のものでもないってこと」
その名前を聞いた時に、この計画はホンモノなのだと直感した。彼らの話の中に何かキラリと光る具体的なものがあれば、その計画は着実に進んでいることを意味すると思ったのだ。
ヤバイ。本当に〈ホクレア〉が日本に来てしまう。
by west2723 | 2007-09-05 03:00 | ホクレア

なぜか過去を振り返るハメになってるけど、とりあえず続けます。

ポップな人に向かって〈ホクレア〉の情報を発信したいと思った。ではこの場合、ポップとは何か?必ずしも音楽やファッションや芸能などなど、流行やワカモノの趣味趣向に通じていることとイコールではない。何と言いますか……好奇心が旺盛で、偏見が無く、面白がることがうまく、行動力があり、洞察力があり、周囲に対する影響力もあり、しかし商売っ気は無く、というようなイメージ。

たとえば、先日お目にかかった篠遠喜彦先生も、僕にとってはポップスターそのものなのだ。「他人の掘った穴を再び掘って、いったい何が面白いんだ?」という篠遠先生のコメント、カッコよかったなぁ。「誰も行こうとしない航路を風だけで渡った〈ホクレア〉は、ホンモノだよ」としみじみ語ってくれた大島商船の藤井先生もシブかったなぁ。

雑誌が出て、事態はいくぶん好転してきた。普段は決してハワイっぽくないような、意外な人からも「読んだよ」と声をかけられた。映画『ガイア・シンフォニー』のお陰だと思うけど、女性読者が多いらしいこともわかってきた。男ばかりで〈ホクレア号〉について語ってもポップな感じにはなりそうにないし、何より雰囲気がサツバツとしてくるので、これはホントにうれしいことだった。

ただし僕はそれまで『ガイア・シンフォニー』さえ観たことがなかったので、急いで「第3番」を観に行った。驚いたなぁ。日本で最初に〈ホクレア〉を紹介した映像が、いきなり空撮だもんな。あの空から見た〈ホクレア〉はホントに美しかった。そう言えば、『ガイア・シンフォニー』のDVDが単巻で発売されることになったらしい。うれしいです。5巻セットではちょいと高かったから。

他にも女優さん、歌手、ミュージシャンという、ポップのプロたちが読んでくれていることもわかった。Webを検索してみると、かなり多くの人がブログで紹介してくれていた。そして、世の中にはセンスの通じる人たちって多いんだなぁ、と感動した。そうです。ちょうどその頃、ブログを始める人が増えてきたのだった。ということで、僕も調子に乗ってこのブログを始めたんだけど、続けるのがタイヘンだった。とは言え、あの雑誌は二度と出せないかもしれないんだから、忘れられないうちに読んでくれたみんなと繋がって〈ホクレア〉の来航に備えておく必要があると思ったのだ。(続く)
by west2723 | 2007-09-03 22:10 | ホクレア

ワカッテナイのかポップなのか?

海洋大のシンポジウムに集まった人たちを眺めながら、壇上の人も客席に集まった人たちも、みんな穏やかでいい雰囲気だなぁ、と思っていた。集まった顔ぶれは誰もが言う通り多様であり、それぞれがお互いを補完しながらモノゴトを進めて行く、創造的でありながらリラックスした雰囲気。学者さんがいて映画監督がいてアスリートがいてミュージシャンがいて雑誌編集者がいて旅行ライターがいてサイエンスライターがいてハワイ州観光局の人たちがいて子どもたちがいて体育の先生がいてハワイの有名な伝統航海士がいて、そして全員が同じテーマに沸き、同じ頂上を目指している。このような集まりを残してくれただけでも、〈ホクレア〉の日本航海は成功だったと思う。

〈ホクレア〉が日本に来るかもしれない、と聞いたのは5年くらい前だったかな? その頃、僕の回りに〈ホクレア〉を知る人などいなかった。みんなホノルルマラソンやサーフィンなどなどで年中ハワイに行っているのに、なぜ知らないんだろう? 思えば不思議なことだ。僕たちに与えられ、それがすべてだと思っている情報なんて、いかに偏ったものだったのか思い知らされたもんだった。

しかしまぁとにかく、日本の人たちに〈ホクレア〉の存在を知らせることから始めなくてはいけない。せっかく日本までやって来たのに、港で誰も出迎えていないんじゃマズイでしょう。もちろん今となってはこんな心配は杞憂だったわけで、僕あたりが何か行動を起こすまでもなく各寄港地とも想像をはるかに超えた、〈ホクレア・クルー〉でさえ驚くような歓迎があったわけだけど。

とにかく、その時の僕にできることは雑誌を出すことだった。テーマは「ハワイからこんな船が来るらしいんだけど、みんなどう思う?」というもの。スタッフはコンパクトに、たったの4名。日本からハワイに行くのは僕と、自称「海洋ジャーナリスト」氏の計2名、写真はハワイ在住の有名な写真家にお願いし、日本に長いこと住んでいたレジェンドサーファーにコーディネーションを頼む、という構成。身軽じゃないとこんな取材はムリだな、と思ったと同時に、あまりカネをかけられないという事情もあった。

同時に、僕はひとつのルールを作った。それは、この話をいわゆる「ハワイ通」だけのものにしたくないということだ。知り合いの中には「ハワイ通」やらフラの先生もいたりするんだけど、彼らにとってのハワイはすでに完結してしまっているのだ。「マナ」だの「オハナ」だのといきなり言われてもワケわかんないし、やがて「カヌーのこと考える前にフラの勉強した方がいいよ」、な〜んて話になってしまう。いちいち勉強している間に、〈ホクレア〉は日本に来ちゃうじゃん。

ワカッテナイ、という批判は、雑誌を作る前でも出した後でも、ずっと聞くことになった。「〜〜の本、読んでないわけ?」「オマエ、海のことワカッテナイ」「セイリングのこと、ワカッテナイ」「ハワイよりも、ミクロネシアの勉強が先だろう?」「航海カヌーのこと、もしかして全然ワカッテナイわけ?」もう、うんざりだった。だったらワカッテルあなたは今、いったい何をしているわけ?申し訳ないけど、彼らとの議論に時間を費やす余裕なんてなかった。

そんなこんなで、実は雑誌の取材で訪れたハワイは、初めてのハワイだったのだ。ワカッテナイのは当然だった。しかしとにかく始めなくてはならなかった。そんなヤツが、当時はまだ怪しいハワイアンとしか思っていなかったタイガー・エスペリ氏と一緒に、いちばんディープなハワイの中に入ってしまうなんて無謀といえば無謀だった。出てくるヤツ出てくるヤツ、み〜んな曙みたいに怖い顔してるんだから。

もちろん、怖い顔はしていても、いちどうち解ければホントにいいヤツばかりだった。僕は流暢な英語なんて使えないから、向こうはかえって一生懸命話してくれる。メシも食べさせてくれるしカヌーにも乗せてくれる。そしてある時ふと気づくんだけど、彼らは誰もが寡黙で礼儀正しい。たとえ貧しくても、仲間を家族を大切にする。挨拶がしっかりしている。なあんだ、僕が子どもの頃に見ていた日本のオトナと同じじゃないか。オトナとは、大きく強く、知恵があって優しい人たちだった。

ハワイがわかれば日本がわかる。きっとそうだ。〈ホクレア〉が日本に来ると言うことは、すなわち日本人が日本について考える機会になる。僕は確信しました。そして思ったわけです。この話は、まだハワイのことも〈ホクレア〉のことも全く知らないけれど、知ったら確実に動き出す人のために紹介するのだ。とは言えいちいち理由など説明しなくてもわかる人たちがいい。つまり、音楽やファッションを理解するように、直感的に〈ホクレア〉のメッセージを理解してくれる、ポップな人たちに向けて紹介するのだ。(続く)
by west2723 | 2007-09-02 22:58 | 陸での話

〈ホクレア〉は、これからもアートなのだ

〈ホクレア〉のどの部分が古代航海カヌーの復元で、どの部分が創作なのかはわからないけど、いずれにしても〈ホクレア〉をデザインしたハーブ・カネ氏が広告の世界でも成功したデザイナーだということは、非常に大切なポイントだと思っている。広告のデザインは常に「人の目にはどのように映るか」を念頭に行われるわけで、となると〈ホクレア〉のどこを見せようと思っていたのか、とても気になってしまう。いつかハーブ・カネ氏にもインタビューする機会があればいいなぁ。

クアロア・ビーチパークで〈ホクレア〉が進水した際、エディ・アイカウは「過去からやってきたタイムマシンだ!」と思ったという。宇和島で、たまたま自転車で新内港を通りかかった数人の少年たちは、〈ホクレア〉を見て「何だ? あの海賊船みたいな船は?」と、かなり驚いていたけど、あのデザインには、予備知識など何もない人が見ても異様なインパクトがあるらしい。それは、何らかのメッセージを伝える上で非常に大切なことだ。〈ホクレア〉を知っている人に対しては今さらプレゼンテーションは必要ないけれど、知らない人にその存在を伝えることはいつになっても大切なのだ。
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そして、その異様なインパクトを携えた船は、これまた想像を絶するような航海術で海を渡るというからますます興味を持ってしまう。しかし、その技術を知ろうとすればするほどポエムのような言葉に触れるばかり。そこで多くの人は道を間違える。いや、違うな。いったんは間違えたように思えるかもしれないけど、結果的に正しいポジションにたどり着くことになる。命がけの航海であるにもかかわらず、言葉にするとロマンチックになってしまうから〈ホクレア〉は分かりやすくもあり誤解されやすくもあるのだ。ナイノアのスピーチって、ほとんど詩の朗読と変わらないでしょう?

そしておそらく、ナイノアさん自身が言葉を扱うことが好きなのではないかと思う。彼は芸術家でもあり、けっこうコピーライターなのだ。今年の1月、ナイノアにインタビューした時に「今でも海を怖いと思いますか?」と聞いてみたんだけど、その時に彼は一呼吸置いてからニヤリと微笑んだ後に「Fear is a Friend」と言い切ったモンだ。簡潔な一語で言い切れたことに、非常にうれしそうな表情を見せた。おそらく「One Ocean ,One People」というおなじみのキャッチフレーズも、あんな調子で、突然ナイノアの口を突いて出てきたものに違いない。
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つまり、〈ホクレア〉の航海は一種の表現行為なのだと思う。リアルで命がけの航海であるにも関わらず、それを伝えるにあたってはアートの力を借りる。だからカッコいいのだ。だからこそ考古学や人類学、あるいは他の島々での航海カヌーや伝統航海術の知識などなくても、あれほど多くの人が感動し、多くの思いを共感できた。これはとても大切なポイントだ。なぜロックを聴くのか説明も分析もできないけど、いいものはいい。そんな感じ。〈ホクレア〉はこれからも音楽のように、あるいは演劇のように理解されて行けばいいんだと思う。知識は後からきっとついてくる。

七里ヶ浜の沖にカヌーを浮かべ、僕は〈ホクレア〉の横でハカを聞いていた。あれは、海の上ではもう二度と見ることのできない贅沢極まりない演劇だった。今ではおなじみの〈ハカ・ホクレア〉だけど、あれは〈ホクレア〉がニュージーランドでマオリの歓迎を受けるまで、クルーの誰もが知らない儀式だったという。つまり「オレたちも、ああいうのやろうよ」という感じで始まったものだ。

という具合なんだから、見る側は「これはハワイ的にどのような意味を持つのだろう?」とか「こっちも何かお返しをしなくてはいけないんじゃないか?」なんていちいち考える必要はない。〈ホクレア〉のメッセージをカッコ良く伝えるための演出は何も考えずに受け入れていればいい。こっちはいい観客であればいいのだ。意味は後からでも理解できる。ただしカッコいいアートは、観客にもカッコ良さを要求する。そう、〈ホクレア〉にインスパイアされた以上、僕たちもカッコよくならなくてはいけないという課題が残されるんだけどね。

な〜んて言ってるうちに、長くなってきました。ここらでいったん出かけます。続きは後ほど書き足しますね。コメント歓迎はいつもの通り。
by west2723 | 2007-09-01 12:07 | ホクレア