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7月29日に向けて

日本航海の写真整理は相変わらず続いており、僕にとって〈ホクレア〉の日本航海はまだまだ終わっていません。今頃、テレビ新広島のダミーさんあたりも同じ思いをしている頃だろうけど、何を落とすのかという作業、けっこうツライものがあります。時間やらページ数やらの制限があって、出したいもの全部を紹介するのはムリとは言え、選びすぎると意外につまらない展開になってしまう。いかに「一見ムダなもの」を活かすかがプロの作業ってヤツなんです。難しいっす。

ところで昨日、そんな作業の合間を抜け出して、7月29日のシンポジウムの打ち合わせに参加させてもらった。まぁ、こんな東京の片隅の居酒屋に日本航海の記者会見のようなメンバーが揃っているなんて、目が眩むじゃありませんか。これでタクジさんがいればフルハウスなんだけど、現役アスリートの彼にとって今はレースシーズン。早くも次なるタタカイが始まっているのだ。
全員が一様に「これは1日じゃあ終わらないね」という感想。「ナイノアの話は2時間あっても足りないかも……」。ということでタイムスケジュール変更の可能性は大です。できればキャンプでもしながら2日目に突入したいんだけど、ダメかなぁ。翌日は月曜日だからな。

とにかく集まった誰もが「日本航海はまだまだ終わっていない」と思っているようで、それぞれの立場で「これからどうするのか」を真剣にイメージしているようす。このきっかけとして、全員がこのシンポジウムを有効に使いたいと思っているようです。ご期待ください。そしてもちろん、各寄港地で頑張った人たちが主役です。第3部では、壇上の人たちは聞き役に回るはず。「あんな凄いものを見ちゃって、これからどうしたらいいのよ」と思っているあなたの声を、ぜひお聞かせください。
by west2723 | 2007-06-29 11:58 | ホクレア

はじめてのハワイ〜その2〜『Hawaii Aloha』

皆さんから教えていただいた『Hawaii Aloha』ですが、とりあえずiTunesで検索してみたら30曲ほどの演奏が出てきた。さすがにハワイアンの定番だったんですね。という具合に、僕はハワイアンの基本をまったく知らないわけです。もったいないことです。で、皆さんからお勧めいただいた「IZ」は購入。なるほど、と思ったところで他の人の演奏も聴いてみたくなり、結局Doug & Sandy McMasterというアーティストにつかまってしまいました。この人たちもまた定番なのかもしれないね。今頃知ったの? なんて言われてしまいそうだけど、今の気分はまさにこんな演奏なのです。聴き方によってはギターの教則本の付録のようでもあるけれど。

ところでついでに『Pua Liliehua』という曲について、何かお勧めの名演をご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。この曲もまた今回の航海を通じて、僕のアタマから離れない1曲になってしまっています。
by west2723 | 2007-06-28 11:40 | 音楽

これが日本航海最後のビッグイベント

国立科学博物館の入魂式でも頑張っていた後藤明先生から、こんなうれしいポスターが送られてきました。〈ホクレア〉がハワイに帰ってほぼ1カ月後、それぞれがアタマを冷やして未来を見つめ始める7月29日、あの日本航海はいったい何だったのか、を振り返るシンポジウムです。このスケジュールだったら、〈カマヘレ〉を返しに行ってくれたクルーたちも日本に戻っているはずです。主役はあくまでも現場で頑張った人たち。各寄港地の実行委員の方々にもこれから連絡が入ると思います。

●日時 7月29日10:00〜17:00
●会場 東京海洋大学 越中島会館講堂(東京都江東区越中島2-1-6)
●第1部 10:00〜 南太平洋の人と文化とその起源
ポリネシア考古学をその創始期からリードしてきた篠遠喜彦(ビショッ プ博物館)、南太平洋のカヌー文化を専門とする後藤明(南山大学)、人類進化史を研究する海部陽介(国立科学博物館)の各講師が、南太平洋の人々の起源・歴史・文化について解説します。
●第2部 13:30〜 ホクレア号日本航海を振り返って
ホクレア航海を実現させた当事者たち、クルーの内野加奈子、側面支援を行った海洋ジャーナリスト内田正洋とプロセーラー西村一広、そして ホクレア号ナビゲーターのナイノア トンプソン(予定)らに、今回の航 海体験について語ってもらいます。
●第3部 15:00〜 パネルディスカッション/ホクレア・スピリットを未来に活かし続けるには
上記の各氏以外に「地球交響曲」の龍村仁監督や、各寄港地での歓迎イベント、教育プログラムに携わった方々からの声を交え、ホクレア来航の意義を問い直し、私たちがこの体験を未来にどう活かすべきかを考えます。

●第3部の報告者やコメンテーターは龍村仁監督以外は現在交渉中です。なおシンポジウムの後、東京海洋大の懇親会ルームで会費制の懇親会を行う予定です。こちらの方もふるってご参加ください。

入場無料・予約不要・定員400名
主 催:東京海洋大学  
共 催:ホクレア寄港地教育・科学イベント支援委員会
後 援:龍村仁事務所、国立科学博物館、国立天文台、海洋博覧会記念公園管理財団、全国科学博物 館協議会、独立行政法人航海訓練所、日本船舶海洋工学会、日本オセアニア学会、日本人類学 会、日本国際理解教育学会、立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科

●問合せ先:東京海洋大学社会連携推進共同研究センター越中島オフィス TEL. 03-5245-7501 東京海洋大ホームページ http://www.kaiyodai.ac.jp/Japanese/index.html

ところでこの日は参院選じゃなかったかな? 遠方からお越しの方は、ぜひとも不在者投票を済ませておきましょう。
by west2723 | 2007-06-26 20:40 | ホクレア

はじめてのハワイ〜その1〜Gabby Pahinui

この、あまりに強烈だった〈ホクレア〉の日本航海を忘れないために、そろそろこのブログもまとめに入らねばいかんね。きっと非常に長くなるので、何回かに分けて進めて行こうかと思っています。最初は音楽の話から行きましょう。音楽はいいよ。部屋で流すだけで、いつでも〈ホクレア〉の姿を思い出すことができる。

まず自分のことから話すと、僕はもともとハワイの文化に傾倒したり、ハワイアンミュージックを聴くようなタイプではなかった。〈ホクレア〉の追っかけを始めて7年になるけれど、それまでハワイに行ったことすらなかったという、ハワイに関してはまったくのモグリなんです。だから僕のハワイ音楽へのアプローチはかなり偏っているのかもしれない。

まとにかく、Gabby Pahinui、およびPahinui一家の音楽はよく聴いている。きっかけは僕が長年愛聴してやまないギタリストのライ・クーダーで、彼が1976年に出した傑作『Chiken Skin Music』にGabbyが登場したからなのだ。ライ・クーダーという人は、こうして意外なジャンルの誰も知らないアーティストを引っ張り出してくる、いわばポップ・ミュージック界の考古学者のような人なんだけど(あのVuena Vista Social Clubもそうだったように)、そこで聴ける緩〜いチューニングの、ゆったりしたプレースタイルにココロを奪われてしまったのだ。それがスラッキーギターだった。
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その時、すでにハワイアンの世界では大御所だったGabbyとセッションを行うにあたり、ライ・クーダーは何度も何度もハワイに手紙を送ったという。とは言えなかなか返事はもらえず、最後にはハワイまで直談判に行くという、まるでナイノア・トンプソンとマウ・ピアイルグ先生とのサイパンでの会談のようなことまで行った後に、ようやく『Chiken Skin Music』での演奏にこぎ着けたのだった。上の写真、『The Gabby Pahinui Hawaiian Band』のセッションにもライ・クーダーは加わっているけれど、まるでベテランの〈ホクレア・クルー〉のようにあくまでも控えめ、かつ堅実な演奏を聴かせてくれる。そう、このバンドは音楽界の〈ホクレア〉なのだと思うよ。
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ところで『Chiken Skin Music』が発売されたのは1976年、つまり〈ホクレア〉が最初のタヒチ往還を行った年だ。世間一般ではこの航海をきっかけにハワイアン・ルネサンスが始まったと言われているけれど、音楽の世界ではとっくにルネサンスは始まっていたことになる。何たって、Gabbyの『ブラウン・アルバム』は72年発売(上の写真)。しかもバリバリのハワイ語による演奏なのだ。
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ということで〈ホクレア〉後の夏の日、Pahinui Familyをお勧めしておきます。ハワイアン・ミュージックに特有の「心地よさ」よりも、もうちょい骨太の、聴けば聴くほど味が出るタイプの演奏。Gabbyじゃ濃すぎる、というのであれば、息子さんのCyril Pahinuiなんていいかも。12弦ギターのスラッキーギターは、この季節、お風呂上がりにお勧めです。って、この人がこのブログで出てきたのは、たしか3度めですね。

ところで〈ホクレア〉が日本にいる間、僕のアタマの中では『Hawaii Aloha』という曲が鳴りっぱなしだった。この曲、ハワイの音楽に詳しい人にとっては定番らしいんだけど(ハワイ州歌?)、お勧めの演奏があったら教えてください。僕は今、この曲を聴くと、海の上を静かに走る〈ホクレア〉の姿がそのまんま浮かんでくるのです。
by west2723 | 2007-06-25 07:14 | 音楽

カツオノエボシ

この夏、相模湾にはカツオノエボシが多く発生しているらしい。おお、こわ! もしも刺されたら、
「海水で触手を洗い流し 、45度くらいの温タオルであたためて解毒します。真水、酢は カツオノエボシには 厳禁です」とのこと。七里ヶ浜では得意のジェットに乗り〈カマヘレ〉の水先案内役を務めた、茅ヶ崎の細井さんからのお知らせでした。

という具合に、〈ホクレア〉が日本を去った今、みんな普通の毎日に戻り始めた。まだ数人のクルーは残っているけれど、どちらかというとハワイから休暇でやってきたというオモムキで、日本航海中の緊張感からは解放されている。人の噂は75日。しかし〈カマヘレ〉でハワイに向かっているクルーのことを忘れちゃいかんよ。メール連絡は取れるようなので、まずは第一報を楽しみに待つつもり。
by west2723 | 2007-06-24 17:40 | 海での話

〈カマヘレ〉出航!

23日ほぼ正午、〈カマヘレ〉は横浜・ベイサイドマリーナを出航しました。この航海で〈ホクレア〉に触れたすべての人々の感謝を乗せて、ハワイへのお礼の航海。ホノルルまで3週間あまりかかるというのに、茅ヶ崎のYASUからは、いつもと変わらない調子で「タマシイの旅、行ってきま〜す」との電話。見送りには行けなかったけど、大勢集まってくれたということなので、いずれどなたかのサイトにアップされることでしょう。(→琢磨ご夫妻のホームページ)いい旅を!

ところで以前紹介させていただいた『やじきたオン・ザ・ロード』のホームページが、〈ホクレア〉日本航海の音のアルバムと化しています。ハカ・ホクレアやマカさんのホラ貝をもう一度聴きたい方、一生聴いていたい方、このページをぜひ開いてみて下さい。
by west2723 | 2007-06-23 12:23 | ホクレア

ありがとう〈ホクレア号〉!

ぷかり桟橋〜大黒ふ頭という短いレグとは言え、事故の可能性はこれまでと同様で、曳航は慎重に行われる。写真で見ると大勢乗っているようだけど、なぜかみんな後ろに集まっていたというだけのこと。重量バランスはどうなんだろう、なんて、僕は余計な気を遣いながら前の方で頑張っていた。写真で見るとまるで観光クルーズのようだけど、ステアリングを握るのはカムイノミを行ったアイヌの兄弟。舵の扱いが非常にうまかったので、カイウラニも余裕の表情。
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〈ホクレア〉をつり上げるクレーンはいちばん手前だ。ここで女王さまは船底まで空気にさらし、陸に上がり、140日にもおよぶ航海を終える。ありがとう〈ホクレア号〉。これでゆっくりシャワーを浴びて、故郷ハワイまでの道のりを、ゆっくり休むことができるというわけだね。
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そして下の写真は、この日本航海で僕が最後に見ることになった〈ホクレア〉の姿だ。埠頭に残る人数は最小限に止めなくてはならないので、クルーの他、数名を残して僕たちは大黒ふ頭を去った。マカさんは、この別れでもホラ貝を吹いてくれた。埠頭には西村一広さんの姿があった。サバニに行ったものと思っていたんだけど、この積み込みのために横浜に残っていてくれたのだ。
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そして今、6月22日午後9時30分。ナイノアも、チャドも、ポマイも、カイウラニも、〈ホクレア〉クルーはみんな、ホノルル行きの飛行機の上にいる。今頃は機内食が配られている頃かな? まだまだ彼らの頭の中で、日本航海の思い出などまとめられているはずもない。食事の後は眠くなって、目を覚ましたら、そこには懐かしいホノルルの日差しが降り注いでいるだけなのだ。日本を思い出すには、まだまだ時間がかかると思うけど、それでいいんだ。
by west2723 | 2007-06-22 21:33 | ホクレア

マカさんのポーが聞こえる

出航は朝の8時と聞いていたので、ちょっと早めに7時15分頃ぷかり桟橋に行ってみたら、すでにクルーは集合し、最後の出航準備に追われていた。「来たか、これが最後だもんな」とマカさん。「明日から鎌倉に行くから、よろしくな」とのことでした。これまでは鉄の規律でもあるかのようにマジメなコメントを繰り返していたクルーだったけど、今日は「雑誌ができたら送ってよね」みたいな調子で連絡先を交換したり、会う人ごとに記念撮影をしたり、されたり、を繰り返していました。どのクルーにとっても日本航海はかなりの衝撃だったようだけど、それ以上に、彼らからは明日ハワイ行きの飛行機に乗って家族の元に帰れる、という安堵のキモチが伝わってきます。
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まるで筏のように丸裸になった〈ホクレア〉を想像していたんだけど、まだ充分に居住空間を残していた。とは言え、荷物を下ろし、かなり軽くなったので、ナイノア・トンプソン船長は喫水を計る。船底には、すでにびっしり海藻が付着していた。
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カヌーの片づけに追われながら、集まった人たちのサインの求めに応じるアンクル・マカ。マカの書き文字は美しいのだ。〈ホクレア〉のイラストの背景にはレインボー。なお、マカがいつも自転車用のグローブをしているのは、ロープを扱うからなのだよ。これが無いと、火傷することもある。
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柵の向こうにいた見送りの人たちをクルーたちが招き入れる。そして、全員で輪になって最後の祈りが捧げられた。この後、トンプソン船長やマカさんは、集まった全員をハグして回った。
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桟橋で見送ろうとしていたら、「どうしたんだ、キミも来るんだ」とトンプソン船長。「このまま会社に戻ってシゴトで」などという言い訳は通じるわけもなく、とにかく〈ホクレア〉に飛び乗り、もうすっかり見慣れた桟橋が遠ざかるのを見ていた。

それにしても船長は忙しく、大黒ふ頭に向かう短い間でさえ、クレーンで吊られる時に思わぬパーツがこぼれ落ちないよう、すべてをロープで結び続けている。三崎〜横浜間を伴走している時も、〈ホクレア〉の上で絶えず動き回っているのはトンプソン船長だった。
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マカさんのポーが聞こえる。横浜の空は、今日も快晴だ。この次、この音を聞くことができるのは、いったいいつのことなのだろう。大黒ふ頭までの回航とは言え、カヌーの上では船積みのための準備が慌ただしく続いていた。〈ホクレア〉の航海は、まだ終わっていなかったってわけだ。
by west2723 | 2007-06-21 15:19 | ホクレア

〈カマ・ク・ラ〉号について思うこと

日本で航海カヌー〈カマ・ク・ラ〉を作ろう、という運動を起こしてくれたのが、ご存じ、ハワイ出身のタイガー・エスペリ氏でした。だからなのかどうなのか、〈カマ・ク・ラ〉のカタチそのもの、あるいは付随する儀式にいたるまでハワイ式のものが採用され、今に至っています。が、最近になってこの動きを知る人が多くなり、そして彼らは一様に「ハワイのコピーではなく、日本独自の方法が探れないものか」という感想を持つようです。ハワイ式のカヌーとなると儀式も欠かせない要素になるのでしょうが、僕も日本の方法で〈カマ・ク・ラ〉が作れないものかと思うひとりです。

僕がタイガーに初めてお会いしたのがハワイに帰って間もなくのことだったので、日本で活動していた頃の経過を知らないし、〈カマ・ク・ラ〉建造について何か具体的な活動をしているわけではありません。だからわからないことは多いんですが、もしかすると「ハワイ流」の〈カマ・ク・ラ〉じゃないとできない理由があったのかもしれない。もしもあれば教えてください。……ということはとりあえず置いといて、話を先に進めましょう。
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まず何より、文化的砕氷船〈ホクレア〉が日本の南半分を縦断したことにより、合理主義の名の下に埋もれていた、日本の海文化、日本の知恵を再び浮上させてくれました。だからこそ、どの寄港地でも土地のお年寄りが〈ホクレア〉を楽しそうに、懐かしそうに眺めていたようです。僕たちは、もっとお年寄りの話を聞いておかないといけないね。

祝島で、周防大島で、広島で、我々が見てしまったものについて、どのようにオトシマエをつければいいんだろう? もしも航海カヌーを作るおカネと人材が確保されるのであれば、カヌーを作る前に、まずは「我々が見てしまったもの」を守ることから始められないものか、それもまた〈カマ・ク・ラ〉なのではないか、とも思ってしまうわけです。

そのひとつの回答が「サバニ帆漕レース」だったわけで、写真家の添畑薫さんを中心に、内田正洋さん、西村一広さんたちは、競技を行うことによって伝統のカヌーを守ろうとしています。今ではあのレース、東京からのエントリーも出てくるほどの盛況を見せてますが、あんなアイデアは、日々海と向き合っている人たちからしか生まれてこないようにも思えるし、どうにかならんもんかのう。
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で、実際の〈カマ・ク・ラ〉号ですが、僕はカタチは問わなくていいと思っています。まず何よりも優先されるべきことは、できるだけ「多く」の人が「安全」に日本の海や日本の海で生まれた知恵を学ぶ機会を得ることだと思うので、もしもハワイ式のカヌーが安全なのであればそれでいいんじゃないかと。これは〈ホクレア〉が古代そのままの木製の船体ではなく、グラスファイバーを選んだのと同じ理屈です。言ってしまえば、量産型ハルで作られた〈アリンガノ・マイス〉のようなカヌーが、僕にとって、〈カマ・ク・ラ〉の具体的イメージです。

〈カマ・ク・ラ〉に関するいろいろな活動は、生まれては消え、消えては生まれ、を繰り返しているので、今では同時多発的に〈カマ・ク・ラ〉ミーティングが行われたりします。が、どこかのチームが具体的に動き始めれば、いずれひとつにまとまって行くことでしょう。命もおカネもかかるだけに、海の世界にはとかく派閥のようなものが生まれやすいようです。しかし〈カマ・ク・ラ〉周辺にはそのような空気を感じません。ぜひともこのまま、大きなうねりになってほしいと思っています。

上の写真は多くの船に守られながら、水平線の向こうに現れた女王さま。日本航海中、このシルエットにココロ奪われたり、なぜか涙を流してしまった人は多かったことでしょうね。僕はこのシーンを、カワイハエと、沖縄と、宇和島と、七里ヶ浜で見ることができました。シアワセでした。
下の写真は2006年の「サバニ帆漕レース」での〈マイフナ〉号。アウトリガー無しの古典的カタチで戦った。今年は今週末に開催されます。今頃は内田さんも西村さんも、古座間味の目も眩むような美しいビーチで、サバニとの再会を楽しんでいることでしょう。
by west2723 | 2007-06-20 08:16 | カマ・ク・ラ

はじまりのはじまりの終わり

今、仕事の合間を縫って、膨大な数に上る〈ホクレア〉日本航海の写真を整理している。もちろんこれも仕事なんだけど、どうにも〈ホクレア〉がらみの取材は仕事と認められないような空気があって(なぜかと言うと、あまりに予定が組めないので、僕はこの仕事を沖縄到着以降、出張扱いにせず、休暇として続けてきたのだよ)、どうしても合間を縫う感じになってしまう。思えば〈ホクレア〉には内野さん、〈カマヘレ〉には内田さんが乗っているので、僕が伴走艇に乗れば3箇所から〈ホクレア〉を狙えるという、とても贅沢な布陣。だからこそ写真の点数も3倍になるんだけどね。

この仕事が終われば、当面は〈ホクレア〉関係の仕事は終わり。その後も日本航海、というよりもハワイ島から横浜にかけての航海をまとめた1冊を作りたいところなんだけど、こっちはできるかどうか未定なので、ここでいったんお終いとさせていただかなくてはなりませぬ。雑誌だけで引っ張って行くにはあまりに間が空くプロジェクトなので、このブログを始めたり、他のメディアと情報を共有しながら動いて来たわけですが、当面のゴールは見えてきました。ゴールというよりも、もはや、これまで。後のおタノシミはテレビ新広島のダミーさんと、サタワルから〈ホクレア〉と行動を共にしたビデオクルーの吉田清継さんに託そう。
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そして〈ホクレア体験〉してしまった多くの人が考えているであろう「これから、どうする?」という課題。まとにかく、大きくコトを構えようとせずに、自信を持ってこれまでの日常に戻ることから始めたいと思っています。何か途方もない活動を始めることよりも、もっと身近なところに次の「はじまり」があるんじゃないかと思うわけです。たとえば遠くハワイまで〈ホクレア〉を見に行くよりも、近所のご老人の昔話につき合う方がはるかに〈ホクレア的〉なのではないか。身近な人や仕事や生活を愛せるからこそ、初めて世界やら人類やら地球やらを愛することができるってわけです。

なあんて気持ちをベースに、〈ホクレア〉と関わりながら思っていたことをいくつか聞いてもらいながら、このブログもゴールに向けて回航したいと思っています。もうしばらくおつき合いください。
なお、この写真は沖縄島の沖で水平線の向こうに姿を現した瞬間の〈カマヘレ〉と〈ホクレア〉。この時はプレス用のボートも出ていたものの、彼らは船団を発見できないまま港に戻ってしまったので、結局、あのシーンを船から撮った写真はこの1点だけになってしまいました。きちんとした写真はプレスボートに任せようと思っていたので、残念といえば残念。
by west2723 | 2007-06-20 06:07 | 雑誌作り