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あの100倍の映像/Aloha! 未来

今になって「〈ホクレア〉って何なの?」と聞いてくる人が多くなった。おそらく、「今年ハワイから風変わりな船がやってきて、それがけっこう良かったらしくて……」というような日本航海のようすがクチコミとなって、ボディブローのように世間に浸透し始めたのではないだろうか? 大きなブームなど今は期待しないけれど、この感じ、ちょうどいい感じで、まだ〈ホクレア〉を知らない人たちの間を〈ホクレア〉は伝説となって帆走し続けているようだ。どうかそのまま進んでほしい。

そんなタイミングで今日のテレビ東京、良かったね。まだ世間は御用納めの真っ最中か、休みに入った人は大掃除でもやってそうな時間帯だったけど、贅沢は言っちゃあアキマヘン。

しかし想像を絶する編集でしたね。〈ホクレア〉を1から語るには避けて通れない〈ホクレア〉の歴史や伝統航海術の解説を入れながら、サタワル〜横浜までの航海を1時間に収めるなんて……。
この成否は制作者がいちばん痛感していると思うので、とにかくお疲れさまでしたと申し上げます。僕が出航を見届けるためにカワイハエに向かってから間もなく1年。あの夜、嵐を突いてオアフ島からやってきた〈ホクレア〉の上には、すでに吉田清継さんの姿があった。あれから1年……。

番組が進むにつれ、沖縄到着、宇和島、三浦、横浜、と、僕が訪れた場所、そして濃密だった1年を思い出し、最後、横浜港の空撮を見ているだけでこみ上げてくるものがありました。

ミクロネシアの映像、ホントに貴重でしたね。まだまだあの100倍の長さはあるらしいので、改めて、焦らず、皆さんが納得できるカタチで世に送り出して欲しいと願います。日本では天候に恵まれた上、ほとんど曳航されていただけに、ゆったりした〈ホクレア〉ばかり見ていたけど、サタワル到着目前の緊迫した感じは凄かったね。あれこそ〈ホクレア〉の真の姿なのでしょう。そして、あまりに儚いサタワル島の姿。島を背景にした〈ホクレア〉と〈アリンガノ・マイス〉の2ショット、ほんの数秒だったけどカッコ良かった……。いやはや、話し始めるとキリが無いので、今日はこのへんで。
当然、再放送はあるよね?
by west2723 | 2007-12-28 21:38 | ホクレア

忘年会用の思い出話、投入!

今になって、テレビ新広島制作による『光の海道』を繰り返し繰り返し見ている。間抜けなことに放送を見逃したために、友人が撮っていたDVDを借りたのだ。
感激屋のダミさんらしい編集だな。「じいちゃんばあちゃんが〈ホクレア〉を見て呆気にとられているようす、たまらんですね」と口癖のように言っていたけど、その通り、寄港地のご老人たちが懐かしそうに〈ホクレア〉を眺めるようすやコメントがたくさん入っていていい! そして何より、今では伝説となった櫂伝馬や打瀬船と〈ホクレア〉との邂逅が見られるんだから、それだけでもこの録画は一生モノだと思うよ。

1時間では短いという評判だったけど、寄港地を瀬戸内海に絞ることによって、同じ日本列島の中にも地方によって独特の海文化があることがかえってクローズアップされる。この編集は成功ですね。
番組の長さもちょうどいいと思う。入れてほしかったのは、荘厳な神舞に続き、お返しに祝島で披露された〈ハカ・ホクレア〉と、それを子どもたちが『リパブリック賛歌』で返すという一連の流れ。そしてアトウッド・マカナニさんが延々とミカンを食べ続けながら宮島を絶賛していたというロングインタビューくらいか。ところでこの番組、年末年始に日本に帰れない人のために、1月3日、ハワイでも放送の予定。ハワイ州観光局の計らいらしい。相変わらず頑張ってますね、観光局の皆さん。

もちろん九州での歓迎のようすも映像で見たかったし、七里ヶ浜や、セイルを広げた横浜入港のようすも見たかったけど、あくまでも制作は広島の放送局なのだ。だから瀬戸内海の凄さを見せてくれればそれでいいんだと思った。それにしても若々しいなぁ、打瀬のご老人たち。あとは吉田清継さんの番組が楽しみでなりません。吉田さんはカッチョよくまとめて来るんだろうなぁ。
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番組を見終わった後、マカさんに誘われて、ダミさんと共に〈ホクレア〉のワッチをした(ってゆーか泊まっていっただけなんだけど)朝を思い出した。天気の良かった横浜寄港中、あの朝だけは雨が降っていた。で、雨音で目を覚ました。一瞬「ここはどこ?」と驚いたけど、アタマを覆うバンクの布を見て、「ああ、ここは〈ホクレア〉の上だったんだ」と思い出した。寒さで少しカゼをひいたようで、少し頭痛がして、〈ホクレア〉に泊まった高揚感よりも、まだ誰もいない港の朝の風景に心細くなるばかりだった。

バンクのファスナーを開けて外に出てみると、寒い! しばらく深呼吸なんてしてみたけど、それ以上何もする気が起きず、雨に濡れた〈ホクレア〉のデッキの写真を数枚撮って、またすぐにバンクに潜り込んだ。暖かい。あの中はホントに暖かく、寝心地も良く、僕は再び眠ってしまったのだった。その朝は月曜日。つまり仕事が始まる日なのに、こんな調子で大丈夫なんだろうか、なんて思いながら、もう、どうにでもなれ、と。
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という単なる思い出話でした。ところでハワイアン・エアラインの機内誌の10月号で日本航海の特集をやっていたんですね。内野さんのブログからの情報です。この雑誌、編集長は日本人なんじゃなかったかな? 興味のある方は取り寄せてみましょう。
by west2723 | 2007-12-20 00:45 | ホクレア

茅ヶ崎代表〈カマヘレ〉搭乗記

TVKの番組『ハマランチョ』より。彼らにはヤラレました。まあ、見てやってくださいYO!
http://jp.youtube.com/watch?v=UVpBiEqtHP4&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=bsilcz7YfxQ&feature=related
by west2723 | 2007-11-30 03:15 | ホクレア

〈ホクアラカイ〉の件で訂正

先日、ある知り合いが〈ホクアラカイ〉のチャド・バイバイアン船長から相談を受けたとのこと。
「最近〈ホクアラカイ〉が日本に行くという噂が広まっているらしいんだけど、とても困っている。もちろん興味はあるけれど、まだ行くと決まったわけじゃないし、こういう話は具体的になってからじゃないと公表したくないんだ」
もしも情報の出所がわかれば訂正してもらいたい、との話だったので探してみたらこのブログだった、というわけです。スミマセヌ、拙速でした。

いろいろ終わった後でもあったし、近い将来に何らかの楽しみを残してこのブログを終了したい、という思いから書いた記事でした。もちろん、来る可能性よりも、来たいと思っているというキモチがうれしくて書いた記事でもありました。しかし、相手は予想以上にシリアスな反応をしてしまうことがある。こちらは単に「楽しみにしている」というくらいの挨拶であっても、彼らにとっては「期待されている」というプレッシャーになってしまうかもしれない。

怖いことですね。気をつけます。噂を売りにしているメディアはともかく、普通、新聞・雑誌は噂程度のものを記事にはしない。しかし、Web上には噂が溢れていますね。とは言え海の向こうの相手にとって、ブログも雑誌も大新聞も関係ない。情報はすべて等しく情報である、というわけ。で、〈マカリィ〉と〈ホクアラカイ〉来航の「噂」に関する記事は非公開とさせていただきました。こういうやり取りをしていると、ハワイの人たちにとって航海カヌーで日本を目指すということがいかに真剣なものであったか、改めて痛感します。
by west2723 | 2007-11-29 21:28 | ホクレア

突然ですが〈ホクレア〉日本航海記念大忘年会の始まりです!

いや、ご無沙汰しております。このところ語るも無惨なほどドタバタしていたんですが、この連休、久しぶりにここを覗いてみたら、まだかなりの人数の方が覗きに来てくれているようで、ほんにスマンこってす。ついでにいろいろ過去のコメントなど眺めているうちに、ここに集まった皆さんは今、どんな年末を迎えようとしているのかなぁ、なんて思い始めた次第です。

だったら期間限定と言うことで、このブログで忘年会でも始めようかと。いや別に何が始まろうというわけではないんですが、〈ホクレア〉がやって来た記念すべき年だもの、皆さんと一緒に年末まで突っ走ろうぜぃ、ということです。例によってだらだらとした日記になってしまうかもしれませんが、これから1ヶ月、皆さんがあれからどうしていたのかや、近況や、来年のホーフなんて話をしてみたくなりました。再びおつき合いよろしくお願いします。ゴールは大晦日かな?

ちなみに僕の近況は追々お話しさせていただきますが、今、再び本誌を作りながら別冊を作っています。とは言ってもテーマは〈ホクレア〉じゃないんだなぁ……。今のテーマは「料理」です。どんなもんでしょう。〈ホクレア〉に始まり、自転車にハマり、今では料理です。すべて自分で言い出して始めたものです。もう、自分のアタマの中がどうなっているのか、自分でもワカラン状態です。

ということで、更新の頻度は減ると思いますが、〈ホクレア〉日本航海の長い長い忘年会が始まります。コメント、待ってますよう!
by west2723 | 2007-11-26 02:15 | ホクレア

最終回 〜 あるべき姿に戻る

まだまだ残暑が続いているけど、日は確実に短くなってきたし、日差しにパワーがなくなってきました。そう、〈ホクレア〉と共に過ごした今年の夏は、ようやく終わろうとしています。
各寄港地で〈ホクレア〉を迎えた人たちも、歓迎を受けたクルーたちも、今ではすっかり元の生活に戻っていることでしょう。ということで、僕もそろそろこのブログに一区切りをつけ、いずれまた、違うカタチで皆さんにお会いしたいと思っています。

最後くらい何か気の利いたまとめでもしておきたいところですが、あれほどの経験をまとめるなんてとてもできない。僕の回りでも、〈ホクレア〉に関わった多くの人がこの夏の経験を文章にまとめておこうとしていますが、みんな「やっぱ、ムリだわ」とギブアップしている模様。〈ホクレア〉のメッセージをすべて伝えようなんて思うと、いつまで経ってもこのブログは終わりません。あれほどのショックから立ち直るには、まだまだ時間が必要です。

しかしムリを承知でまとめるならば、〈ホクレア〉のメッセージは、「あるべき姿に戻ろう」という言葉に集約できるのではないか。その姿とは具体的にどのようなものなのかを話し始めるとこれまた長くなりますが、〈ホクレア〉やクルーの姿に、人それぞれの思いの中にある「人としてのあるべき姿」を見出したからこそ、これほど多くの人の心が動いたのではないかと思っています。
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日本で初めて見る〈ホクレア〉は、あまりにシンプルな姿をしていました。ちょっと隣の島まで行ってくる、というんならともかく、あの装備で、風の力だけで、ハワイからミクロネシアを回って日本までやってきたなんて、実物を目の当たりにして初めて、その凄さを思い知りました。もちろん計器らしきものなんてどこにもなかったけど、ナイノアは「GPSの歴史よりもカヌーの歴史の方がはるかに長いんだ」と涼しい顔で答えてくれたもんです。

「GPSもテレビもコンピュータも、単なる箱に過ぎない。たしかにその箱は役立つ情報を提供することがあるかもしれないけれど、その情報が役に立つかどうかを見抜く方法までは教えてくれない」
判断力のあるオトナであればともかく、子どもたちまでも「箱」に頼るクセをつけてしまうことが非常に危ないんだとナイノアは言う。
「たとえば雲、たとえば風、たとえば波。自然の中にもたくさんの情報が隠されている。それを読み解き、知恵に変え、自然と共に生きる能力が、このままでは人間から奪われてしまうかもしれない」

それは自然の中に限った話ではなく、人と人との1対1のコミュニケーション、あるいは個人対組織のあり方、リーダーシップの取り方、などなど、人間社会においても全く同様です。多くの人が生身の人間と付き合えず、生身の人間が発するサインを読み解く能力を失えば、この社会はいずれ遭難してしまう。しかし、箱はそんなことなどお構いなく、人を錯覚に陥れるだけ。「知っている」という気にさせるだけです。人付き合いなどしなくても、ウェブをまさぐれば生活に困らない程度の情報は手に入る。ココロの通う会話などできなくても、ブログの主催者くらいにはなることができる。

だからこそ、仲間と力を合わせないと無事に海を渡ることができない、カヌーの上では誰もが家族である、などという、口にするだけで赤面してしまうほどシンプルな言葉が〈ホクレア〉を前にすると誰のココロにもそのまま届く。だから多くの人は癒され、中には涙ぐむ人まで現れるのでしょう。いいんです、それで。泣きなさい、笑いなさい、なのです。ただし〈ホクレア〉がいなくなってしまったからと言って、いつまでも寂しがっていたり、あの場で思ったことを忘れてしまっては何にもならない。これからは自分たちが〈ホクレア〉になればいいんだと、僕は思うことにしています。
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僕自身は、これから少し身近なものに目を向けて行くつもり。それこそ家族とか、仲間とか、見慣れた風景とか、地域とか、仕事とか……。遠い世界で起こっているニュースも大切だけど、身近なモノゴトに目を向けないで、どうしてニッポンの政治とか文化とか天下国家を語ることができるでしょう。頑張りましょう。ま、たしかに、シゴトってかったるいけど。

上の写真は僕が長年夢に見ていたシーンで、"江ノ島を背景にした〈ホクレア〉"。そして下の写真は今年の1月、ハワイ島での出航セレモニーを終え、眺めた"西の太陽"です。撮影しながら「あの向こうに日本があるんだぁ……」なんて思っていたのは、もうはるか昔のことのようだよ。

ということで、そろそろこのブログもお開き。とは言え、せっかくここで知り合えた方々には、今後も何らかのカタチでおつき合いいただければサイワイです。以前メールアドレスをお知らせいただいた方には、また何か始める時に連絡差し上げます。逆に、何かあればいつでも連絡をください。まだの方、よろしければ非公開メールでお知らせください。
僕は決してハワイ通でもカヌーマニアでもないけれど、〈ホクレア〉が教えてくれたことや、カヌーや島や地球に関わるココロあるイベントには、できる限り参画します。いずれにしても、ここで皆さんと共有した価値観は、何らかのうねりと共に、いずれ再びひとつにまとまる予感があります。

それでは最後の業務連絡。
●国立民族学博物館特別展『オセアニア大航海展 ヴァカ・モアナ 海の人類大移動』 
9月13日〜12月11日
*なお9月22日〜23日、『オセアニアの偉大なる航海者たち』と題された国際シンポジウムが予定されています。内田正洋さんも出席すると言ってました。
内野かなこさんのトークイベント
タイトル:「ホクレアー伝統航海カヌー、ハワイから日本への航海」
講演者:内野加奈子(海洋写真家)
日  時:平成19年9月23日(日)13:00〜と15:00〜(計2回) 
会  場:国立科学博物館地球館地下2階、人類の進化展示室 ディスカバリーポケットにて
内  容:スライドやDVDを交え、星や波や風を使って海を渡るハワイの伝統航海カヌー、ホクレア。今年春行われた、歴史に残る日本への航海の様子や、伝統航海術のお話をお伝えします。
●テレビ新広島制作、ホクレア号日本航海ドキュメント『光の海道〜ハワイからの贈り物』
山口地区のみオンエアが決まりました。早く全国でやろうよ。
@TYS(テレビ山口)10/28(日)13:54~14:49(予定)。

以上です。
それでは1年間、おつき合いありがとうございました。このページはしばらく置いておきますので、コメントの交換はこれまで通り続けましょう。
これからも皆さんが、健康で、幸せな日々を送ることができますように願っております。マカさんは言ってたよ、「明日はいつも新しい」って。最近、その言葉が身に染みてナリマセヌ。まはろ!
by west2723 | 2007-09-17 13:10 | ホクレア

ホクレア・デイズ

このブログの4月〜6月あたりを読み返してみたら、やっぱり面白いね。なんて、決して自分のブログを褒めているわけではなくて、あの頃は奇蹟のような毎日だったんだなぁ、と、改めて思い出してしまったわけです。やはり、記録に残しておくというのは大切なことだと思う。あれほど期待していた日本航海、危険であるとはさんざん聞かされていたので、沖縄に到着して以降の緊張感は未だ僕のカラダからは抜けません。がしかし、始まってしまえば雑誌編集者に海の上で手伝えることなどあろうはずもなく、航海の無事を日本の海のプロに任せる以外にありませんでした。

緊張の中にも、西村一広さんの穏やかな表情を見ている限り大丈夫なんだろうと思った。関門海峡から写メールを送ってくれる余裕、驚いたね。西村さんが〈ホクレア〉を安全に次の寄港地へ届けることに集中しているならば、一方の内田正洋さんは、クルーの生活や待遇を気遣っている印象。何たってすべては海の上で進行しているのだから、陸上からいろいろ言ったところで何の役にも立たない。だからこそ、〈ホクレア〉が無事に寄港地に現れる姿はカッコ良かった。無事に海を渡るということは、陸から見ればそれだけで神業であり、それを毎回、僕たちは寄港地で目撃していたのだ。
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僕にとって忘れられないシーンは、沖縄本島の沖にホントにやって来た〈ホクレア〉と〈カマヘレ〉を見つけた時。そして、そのまま8時間ほどエスコートしながら真っ暗闇の糸満港までやって来て、港に用意された照明に〈ホクレア〉の神秘的な姿が浮かび上がった時(ちなみにあの照明、もともと港には用意されていなかったため、内田正洋さんが急遽近くの自販機から電源を取って用意したものらしい)。あの姿を見た時、なぜか僕は「この船、ホントに〈ホクレア〉だったんじゃん」などと、奇妙なことを言ったような気がする。

そして七里ヶ浜の沖で聞いた〈ハカ・ホクレア〉。あれを聞きながら、僕は〈ホクレア〉が長年追うに値する存在だと確信した。そして最後に、伴走艇に乗りながら〈ホクレア〉と共に眺めた広い横浜港。子どもの頃から幾度となく通った山下公園を、海から見るのは初めてのことだった。ぷかり桟橋は、まだはるか遠くに見えた。先導するヤンマーのボートの到着が遅れ、ベイブリッジを潜ってから港の上でしばらく待機していた、とても静かで、そして幸せな時間。その後、曳航索を外してセイルを動かしながら再び自力で進み始めた〈ホクレア〉は、大きな蝶のようでもあったな。
by west2723 | 2007-09-16 01:04 | ホクレア

ハワイがわかれば自分がわかる

「自分はいったい何者で、どこから来て、これからどこに向かうのか?」
ナイノア・トンプソンはどの寄港地に行っても、そんな問いかけを行っていた。そして、この言葉の意味についてはここで解説するまでもなく、ナマで〈ホクレア〉を見ることのできた多くの人には伝わっていたと思う。あの航海カヌーがハワイアンのルーツを探るために作られた、というストーリーを知る人にとってはもちろん、知らない人にとっても、なぜか見る者のDNAに訴えてくることがあった奇妙なカタチの船、正確にはカヌー。となると今後、大切になってくることは、見る機会の無かった人に、見た人がこの意味を伝えて行くことだと思う。

でもね、難しいよね。
「あのように筏のような小さな船がハワイから日本に来たというだけで、なぜそこまで大きな話に繋がって行くわけ?」
ナマで〈ホクレア〉を見ることのできなかった(しかし見れば何か思うことがあったはずの)多くの人は、きっとそう思うに違いない。〈ホクレア〉は文学でも音楽でも政治でも宗教でもなく海に浮かんでいるだけの船なのに、なぜそんな大きな話に飛躍してしまうのか。簡潔に説明できない。
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しかし今、世界中の多くの場所で、似たようなことを考えている人は多いに違いない。海など見ることもできないような大陸のど真ん中で爆撃に怯えながら暮らす人々や、海面が上昇してしまうことによって、これまで自分を育んでくれた海から住処を追い出されようとしている人々。誰にとっても、自分の命や、家族との繋がりや、友人や、そしてそれを見守ってくれる風景が危機にさらされた時、冒頭の問いが繰り返され、生き抜くエネルギーに変えているに違いないのだ。
「自分はいったい何者で、どこから来て、これからどこに向かうのか?」

そんな危機感を、平和に暮らす中で知ることができた僕たちは奇跡的に幸運だったと思う。平和を当然のこととして、衣食住に不自由が無い場所にいてそんなことがわかったんだから、そのヨロコビを知り、守り、伝える体力は充分。恵まれた環境に住む以上、それなりの努力をしなくてはいけない。シロートの僕たちでさえ頑張ろうと思っているんだから、その道のプロである研究者の方々には、さらに頑張ってもらわなくてはいけない。「なぜカヌーで世界平和がわかるわけ?」という問いに対して、研究室から離れたわかりやすい言葉で答えてあげてください。お願いしますよ!

僕は〈ホクレア〉を追いかけるためにハワイのことを少しは勉強し、ハワイには仲間も増えたし、大好きになったスラッキーギターの練習も始めたし、サーフィンやアウトリガーカヌーが一生モノの趣味になりつつある。島国ハワイに育まれた知恵って、何度も言うけど僕たち日本列島人のDNAとの相性がいい。寡黙にして謙虚で、しかも勇気があり、礼儀正しくて義理人情にも篤い。そんなハワイの人たちと接しているうちに、日本が失いつつあるものの重みを感じることになる。日本航海を通じて日本から〈ホクレア〉に発信した「平和に暮らすための島の知恵」も多かったんだろうけど、その価値は〈ホクレア・クルー〉には届いても、肝心の日本人には見えなくなってしまっていた。

いずれにしても遠く離れた土地の文化を学ぶ理由は、「自分とはいったい何者なのか」を知ることに尽きるのではないか。学ぶべきものは自分であり、自分を支える家族についてであり、縁ある人々であり、地域であり、仕事であり、風景であり……、そして、お互いに同じような思いを抱えながら遠い土地に住む相手であり、仲間であり……。そして、そのような愛すべき人たちが、お互いに逃げ場のないカヌーの上、海に囲まれた島の中、水を、食料を、資源を、土地を、自然環境を、分け合い、あるいは奪い合いながら、真空で、絶対零度で、光さえもない宇宙に漂う地球で共に暮らしている。

長い航海の果て、初めて陸を見た内野かなこさんは言っていたっけ。
「あそこには水があって、緑があって、人々の生活がある。そんな当たり前のことが、とても奇跡的なことに思えたんです」
はたして、その陸は平和でしたか?

うわお、酔っぱらって書いているうちにずいぶん話が大きくなってきたぞ。今日でこのブログを終わらせようと思って書き始めたんだけど、このワタシ、何か大きなこと言い過ぎてますか? ということで、夜書いた文章は翌朝見ると恥ずかしいことが多いもんで、明日また書き直すことにして、今日はこのくらいにしておきます。この週末、最後の一回を書いて、その後の段取りを考えたいと思います。おやすみなさい。
by west2723 | 2007-09-13 21:25 | ホクレア

ホクレア号、世界一周

「普通、航海の後の1年くらいは、クルーも航海士も航海の話などしたくなくなるものなんだ。あれほどつらい経験は、しばらく思い出したくもないんだろうね。でも、今回は違った。みんな、ハワイに帰ると共に次の航海の話を始めているんだから」と、7月のシンポジウムで再来日したナイノア・トンプソンはうれしそうに語り始めた。そして「ホントはまだ話すつもりは無かったんだけど」と前置きしながら、〈ホクレア〉が再び西に向かい、そのまま地球を1周する計画(と言うよりも、この段階では「希望」に過ぎないんだろうけど)を明かした。「きっと、違う文化圏に行ったということが全員の刺激になったんだと思う。こういう航海のありかたもいいね、という具合に」

〈ホクレア〉には次の目標が見えてしまったのだ。そんなカネがどこにある、なんて一笑に付すのは簡単なことだけど、彼らがやる気ならできる限りの応援をしようと思うのが縁あった者の務めなのではないだろうか。今のところ語られているコースはハワイ〜ニュージーランド〜オーストラリアを左回りに〜東南アジア〜インド〜(アラブのあたりは不明)〜紅海〜スエズ運河〜コルシカ島(ここはナイノアの遠い祖先が住んだ土地だという)〜ジブラルタル海峡〜ダカールなど、アフリカ西海岸〜ブラジル〜カリブ海〜パナマ運河〜カリフォルニア〜ハワイ、という具合。

宇宙船は太陽系を離れて、いよいよまだ見ぬ大宇宙に向かうということなのかな。セイリング文化の根付いたヨーロッパの国々では、おそらく日本以上の国家的な歓迎を受けることもあると思う。しかし〈ホクレア・クルー〉が「冒険者」として称えられることはあっても、カヌーが島であり、地球であるという〈ホクレア〉のメッセージそのものが、果たして世界に通じるもんだろうか? この感覚は日本人には理解しやすかった。カヌーやクルーの姿を見るだけでメッセージが伝わる「島国的な以心伝心」が日本にはあった。しかし大陸の人たちにはまだまだ、地球が島であるなんて感覚は理解し難いんじゃないかと思えてならない。

だからこそ、やる価値があるんだけどね。船が侵略の道具であった国々に対して、カヌーが生存の道具であった太平洋からのメッセージ。ハワイという小さな島が世界を変えてしまう可能性だってある以上、僕はぜひともこの航海を応援したいと思っている。
by west2723 | 2007-09-11 02:21 | ホクレア

ワカッテナイからできなかったこと、できたこと

一昨年の夏、「今〈ホクレア〉が来てもヤバイ! まだほとんどの日本人は〈ホクレア〉なんて知らないし、このままでは出迎えさえできないかもしれない」と思う人たちで集まったことがある。ネットやクチコミで繋がり始めた〈ホクレア〉を応援しようという人たちが、初めてミーティングを持ったのだ。メンバーは大学の先生や博物館の人や海関係のジャーナリストや冒険家などなど、つまりシゴトではあまり会う機会のない人たちだった。〈ホクレア〉は実に様々な分野の人を必要とする、つまり多様性に富んだ集団を作り出すものだけど、この時から原型はできあがりつつあったようだ。

多様性があるだけにカバーできるフィールドは広がる。しかも皆さんそれぞれの分野で充分に知られた方々なので〈ホクレア〉を盛り上げて行く上で心強いメンバーだと思った。そして要所要所に海のプロが加わってくれればいい。たとえば内田正洋さんが各寄港地の仲間に声をかけてくれて、西村一広さんのような人が〈ホクレア〉を各寄港地にエスコートしてくれれば組織の概略はできあがる、などという具体的かつ楽観的プランを勝手に思い描いてたもんだった。

しかし、あの頃はクルーが延べ200人にもなるとは誰も想像していなかった。伴走艇には強力なエンジンが必要なことも、〈ホクレア〉を船積みで帰すことも、そして伴走艇は自走で帰ることも、誰も知らなかった。そして肝心の〈ホクレア〉も、日本の海域に入ることがどれほど危険なことかをまるで知らなかった。もしもあの組織のままで来航直前にこんな事実を突きつけられたとして、いったい誰がリーダーシップを執ったのだろう? クルー200人分のエアの手配は? 宿の手配は? 各寄港地への連絡は? 地元漁師さんへの協力要請は? 各実行委員会の横の連絡は? そして時々刻々変わり続けるスケジュールへの対応は? いったい誰が統括して行ったのだろう?

などなど、今思えば怖くなることばかり。いかに〈ホクレア〉をめぐる各分野での専門家が集まったにせよ、イベント全体を展開するノウハウやカネがあるわけではない。仮にあったとしても、2カ月以上もの間、いったい何人の職業を持つオトナがシゴトを休んで〈ホクレア〉につき合えただろう。結果は1つしかない。うまく行ったんだからそれがすべてだとも言えるけど、僕は今後のためにも、このような善意の集まりには特有の「甘さ」があることを認識しておいた方がいいと思う。

それは「自分のフィールドで善意を払えばそれでいい、これ以上のシゴトはその道の専門家に任せよう」という感覚。その結果、善意は払うけど最後まで「誰も」責任を負わないという事態が起こる。たとえばビーチクリーンイベントにやって来て一生懸命ゴミを拾っても、集積所に置いて帰ってしまうだけではビーチクリーンにはならない。集まったゴミを焼却場に運び、分別や消却にかかる費用を払って初めてシゴトは終わるのだ。

ましてこれはゴミを集める程度のボランティアではない。日本の海や日本の法律がまったく経験したことのない大きさのカヌーが命がけでやって来て、傷ひとつつけずにハワイに帰さなくてはならないという前代未聞のイベントなのだ。善意だけではとても太刀打ちできる相手ではなかった。これは今後いろいろ始まるであろう〈ホクレア〉後の活動にとって、非常にいい教訓として是非ともココロに留めておかなくてはならないはずだ。

結局、今回多くの人々が〈ホクレア〉に見た理想も未来も夢も勇気も、ハワイ州観光局の人たちの登場がなければ何も見ることはできなかったはずだ。そして観光局の人たちは、多少の罵声は覚悟しながらも、ココロを鬼にしてスケジュールを遂行しなくては、とてもじゃないけどあれほど気まぐれな集団を無事に横浜まで到着させることなんてできなかった。にも関わらず、きっと彼らも、例の「ワカッテナイ」攻撃に晒されたんだろうなぁ、と想像する。

「海のこと、ナンニモワカッテナイ」「クルーの待遇がナッテナイ」「スケジュールのことしか考えてイナイ」などなど。しかし、たとえワカッテナイとしても、それをサポートできる海の専門家が集まっていたんだから、お互いの役割をキッチリと分けて、海の安全は彼らに任せ、観光局の人たちはスケジュールの番人に徹したことが日本航海成功の大きな要因だったと思っている。いちいちみんなの言うことを聞いていたら、次に進めないでしょう? あの混沌とした現場を見ながら、僕はいつもそう思っていた。何をやるにしても他人が一生懸命やっていることに対してモンクしか言えないヤツは必ずいるものだけど、そういうヤツは〈ホクレア〉の前では何の役にも立たない。これは誰も経験したことの無いイベントなんだから、気づいた人が動く以外に何も解決しないのだ。

一昨年の夏、日本航海の行く末を心配して集まったメンバーは、そのまま東京海洋大学でのシンポジウムの主催者となって再会できた。もしかすると、あのシンポジウムは彼らや僕にとって最良の結末だったのではないだろうか。いちばん美味しいところをいただいちゃったのかもしれない。そしてシンポジウムの参加者の中には、すでにシゴトを離れ、リラックスした表情のハワイ州観光局の人たちがいた。あの日の彼らは、ようやく観客の一人として〈ホクレア〉の物語を楽しんでいるという雰囲気だった。ココロの専門家とビジネスの専門家、そして〈ホクレア〉を無事にエスコートした海の専門家、共に日本航海を支えた人たちが互いを補い合い、大きな対立を残すことなく、こうして最後に集まれたことが僕には何よりうれしかった。ささやかなことかもしれないけど、こんなところにも日本航海の成功を感じたのだ。
by west2723 | 2007-09-08 23:42 | ホクレア