カテゴリ:ホクレア( 222 )

日本航海まとめ

取り急ぎ、日本航海の期間中だけピックアップしてTumblrにまとめておきました。作ったのは去年の今頃ですが、Tumblrの使い方がイマイチわからず、しばらく放置してしまいました。が、今のこのような時節柄、読んでいただきたくなったので公開します。これはこれで、少しずつブラッシュアップして行きます。→ホクレア・デイズ
by west2723 | 2011-05-24 03:07 | ホクレア

たいへんご無沙汰しておりました!

今年に入ってホントにいろいろありましたが、ようやくブログを復活させる気分になってきました。テーマは〈ホクレア〉に限らず、という感じなので、どこか別の場所で新装開店すると思います。5月に入ったら準備できると思います。気合い入れて行きますよ。それじゃ、また!
by west2723 | 2011-04-16 21:57 | ホクレア

ハーブ・カネ氏、逝去。

ホクレアをデザインし、ナイノア・トンプソンをホクレアに誘ったハワイのデザイナー、ハーブ・カネ氏が亡くなられたようです。詳細は不明。あの方には一度お会いしたかっただけに、とても残念です。合掌。
by west2723 | 2011-03-10 02:54 | ホクレア

ホクレアって、何? という方は…

〈ホクレア〉のことを日本航海の後に知ったという人が意外に多い。このブログでは2007年4月〜6月の間、時々刻々予定の変わる日本航海の情報を流していました。航海終了後、9月までは日本航海のまとめのようなことをやってます。ぜひ2007年からご覧ください。
by west2723 | 2011-01-19 00:31 | ホクレア

ナイノア・トンプソン氏からのメッセージ

日本でお世話になるみなさまへ

伝統航海術の師マウ・ピアイルグが
多くの人に惜しまれながら他界しました。

マウの生き様にふれた日本のみなさんにも伝えてほしいと
ナイノアからメッセージを預かりましたので
お届け致します。(ホクレアクルー・内野加奈子さんより。以下、内野さん訳)


数限りない人々の心に捉えた、本当に素晴らしくかけがえのない一人の人間、伝統航海術師マウを知る世界中の方々に、大きな悲しみと共にお知らせします。

私たちの師、マウがこの世を去りました。マウは故郷サタワル島で、これまで彼が航海でいつもそうしてきたように、大きな勇気と力をもって、彼の病、そして彼の人生をナビゲートしていました。

マウに、マウの家族に、サタワル島に、首長たちに、
そしてミクロネシアのすべての島々に感謝を捧げたいと思います。
わたしたちが海の民であることを思い出させてくれた彼らに。
彼らがこの35年の間に授けてくれた数えきれない教えに。

マウがハワイ、ポリネシア、そして太平洋の全ての島々に与えてくれたものは計り知れません。
マウへ、マウの家族へ、そしてサタワル島の人々へ、私たちが送りうるすべての愛とアロハを送ります。
マウの教え子たちへの一番の願いは、学び続けること、そして教え続けていくことでした。
そしてそのためには航海し続けることが必要です。
マウはハワイを愛し、ハワイの人々を愛していました。
マウの愛したハワイのコミュニティを巡る航海を行おうと思います。
マウを讃えるために、そしてマウが私たちに願ったこと、海を渡り、学び、教えることを形にするために。

ナイノア・トンプソン

なお、原文でのメッセージはこちらで→http://www.hokuleawwv.org/home
by west2723 | 2010-07-13 13:36 | ホクレア

マウ・ピアイルグ師が亡くなられたようです。



7月12日、18:30に、故郷のサタワル島で亡くなられたとのことです。
太平洋は、たいへん貴重な人を失いました。

しかし、ハワイで多くの人が引き継いでくれて、本当によかったと思います。
人類はどうにか未来を失わずにすんだ、とさえ思います。
http://www.kitv.com/news/24231392/detail.html
by west2723 | 2010-07-13 12:10 | ホクレア

周防大島〜その2

たしかに島とは言うけれど、周防大島って東西にけっこうデカい。本州と島を繋ぐ大島大橋を渡ってから、島の東部、宮本常一の出身地である東和地区まで15kmくらいあったんじゃないかな。だから橋を渡って「さあ着いたぞ」と思ってしまうと、感覚的に、そこから先がとても遠くなってしまう。
これほど大きな島でありながら、これといった観光のメダマは無い。無いけれど、そこには濃密な森の気配、そして魚の息づかいが聞こえてきそうなほど豊かな海がある。地元の人たちは、ごく日常的なこととして釣りを楽しんでいる。もはやこれ以上、何が必要だと言うんだろう。
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〈ホクレア〉が沖縄に到着して間もなく、写真家のニック加藤さんは一足先に周防大島に入り、この島のようすをかなり細かく見て回ったらしい。そんな中、「いい喫茶店を見つけたんですよ〜」と教えてくれたのがたぶんこのお店、『コナ』なのだ。大島大橋から移民資料館に向かうメインストリート沿いにある。目印は未だ現役で活躍する赤い郵便ポストだ。

オープンしたのは40年も前のこと。以来、店内の雑貨は年を追うごとに増え続け、今はこんな具合。開店当時は現役だったオープンリールのオーディオセットもそのまま。今ではすっかりアンティークと化している。コーヒーの挽き売りもしてくれて、例えばハワイコナは東京の8割くらいの金額で買うことができる。ちなみにブレンドコーヒーは一杯400円。
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「ここは豊かな島ですよ。見ての通り田んぼはあるし海もあるし、ご近所の農家は食べきれないくらいの野菜を届けてくださるし、お米さえ用意しておけば、食べるに困ることはないんじゃないでしょうか」と、阪神ファンの奥さんは語ってくれた。「ワタシもこのお店は、道楽でやっているようなもので……」

地方イコール仕事が無い、という、最近の日本ですっかり定着した常識は、この島ではどうも当てはまらないように思う。護岸の仕事もけっこう多いらしい。それによって工事が行き過ぎたり、不要なテトラポットが並ぶのはイヤだけど、環境が破壊されている、というほどの印象は受けない。いずれにしても、この島の中で経済が完結している印象が強い。実際のところはどうなんだろう? 大島にお住まいの方、そのあたりの事情をお知らせいただければサイワイです。
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ところで、この島で見る濃密な森のほとんどが原生林だという。長い間、橋が架からなかったために乱開発から免れたのだろうとのこと。日本中どこにでもあるような、ゴルフ場だらけのリゾートにならなくてホントによかったと思う。

ということで、周防大島でのセンチメンタルジャーニーは終わった。大島商船のF先生、ご挨拶もせずに大島を去ってしまってスミマセン。その日は平日。ワタシが来たくらいのことで、学校の先生を呼び出すわけにも行かないと思い遠慮いたしました。このままアロハ、させていただきます。
なお、せっかくの被写体なのでトイカメラ風に撮影してみました。ちょっとやり過ぎたかな? 企画倒れを正直に認めつつ、レタッチせずに載せておきます。
by west2723 | 2010-06-06 12:14 | ホクレア

周防大島〜その1

周防大島から広島へ曳航される〈ホクレア〉の上で、クルーのアトウッド・マカナニさん(通称マカさん)は、テレビ新広島のカメラに向かって興奮しながら語り続けていたという。語りながら、周防大島でお土産にいただいたみかんを、これまた絶え間なく食べ続けていた。
「いいか、オレの住むカフォラヴェ島には木なんて一本も生えていないんだ。それに較べて周防大島の豊かな森はどうだ。みんな、こんな森こそ大切にしなきゃいけないんだぞ……ところでオマエ、みかん食べるか? うまいぞぉ、このみかんは」

〈ホクレア〉の上では、たびたびナイノア船長から全員集合の号令がかかるけれど、マカさんはまったく気にも留めず語り続けていたという。そのインタビューは時間が長すぎて編集できず、番組では使えなかった。何とか他のカタチで見たいもんだけどね。
マカさんだけではない。横浜にゴールした後、何人かのクルーに「ミクロネシア〜日本を通じて最も印象に残った島」を聞いてみたところ、その答えはサタワル島でもヤップ島でもなく、周防大島と宮島がブッちぎりの一番人気だったのだ。

日本航海の最中、最も感動的シーンの予想された瀬戸内海レグの取材に、僕は行けなかった。あの時はホントにくやしくて、いつか絶対行こうと思っていた周防大島にようやく来ることができた。
しかも日付は5月23日。〈ホクレア〉が3年前、この島に着岸したその日に合わせてやって来たのだ。
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時は19世紀末、急速に拡大していたハワイの砂糖産業の労働力として、第一回官約移民が始まったのが1885年。当時、自然災害が続き、餓死者も出るほどに追い込まれていた周防大島からは、特に多くの人々が海を渡った。第一回の移民では大島出身者が全体の三分の一を占め、官約移民時代を通じて実に3900名もの人々がハワイに渡ったのだという。その当時、知恵も文化もありながら、故郷を離れなくてはならないほど貧しかった日本の人々。一方、土地を所有するという概念を持たなかったために、他国から搾取され続けたハワイの人々。この両者による文化の融合は、ここから始まった。
今でも島の中心部に行くと、時報として流れる音楽は『アロハ・オエ』なのだ。しかし、この島で聴くおなじみのメロディは、湘南あたりで聴くものとはまったく違う曲として響いてくる。
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〈ホクレア〉の停泊していた港へ行ってみると、ご覧の通りの静けさだった。しかし近寄ってみると、〈ホクレア〉が港に浮かぶ姿や、部材の擦れる乾いた音や、〈ホクレア〉そのもののサイズが手に取るように蘇ってくる。ナイノアさんはこのあたりをビーサンでジョギングしていたらしいけど、その姿も容易に想像できる。そう言えば藤井木工の大工さんは、この場でメインセイルを修理し、クルーたちの驚嘆を浴びた。ある時、一組の老夫婦が〈ホクレア〉に乗せて欲しいと訪ねてきた。一般の人の乗船は禁止されていたけれど、マカさんは快くお二人を案内した。するとご夫婦は、二人とも靴を脱ぎ、キレイに揃えて〈ホクレア〉に乗り、下りた後には丁寧にお辞儀をして去って行ったという。
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クルーの宿泊先となったスポーツ施設『グリーンステイ長浦』の会議室には、今も〈ホクレア〉の模型が展示され、廊下には日本航海のようすを撮った写真の数々が、パネルとなって展示されている。どうやらこの周防大島では、日本航海が島の歴史の一部として、すっかり定着しているようだ。ちなみにこの施設には日帰り温泉があり、KONISHIKI指導によるハワイアンレストランがあり、などなど、とても居心地のいい施設なのだ。大雨で中止になった3周年記念イベントも、ここで行われる予定だった。延期となり、次回予定は7月17日とのこと。残念だけど、僕はお邪魔できませんが。
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周防大島を去る日、午前中いっぱいは宮本常一資料館に浸りきった。彼は小説も残しており、その小説は原稿をまるごとカラーコピーして、綴じて販売されている。限定100部ということだけど、これは家宝になるな。タイトルは『三等郵便局員』。もったいなくて、まだ読んでいないんだけどね。
そして午後に『日本ハワイ移民資料館』へ。ここは移民としてサンフランシスコへ渡った島民の方が、帰国して建てた民家をそのまま利用したもの。成功して帰国した人々のライフスタイルが偲ばれる、建物自体がとても貴重なものだ。詳しくはサイトをご覧いただくとして、僕が何より強く印象を受けたのは、移住先で生まれ育つ子供たちへの母国語教育についてだった。学年別に丁寧に作られた国語教科書の数々から、海を渡った人たちの日本への思いが伝わってくる。僕はそのうちの一冊を手に取りながら、亡くなった〈マカリィ〉の元船長、クレイトン・バートルマンの言葉を思い出していた。
「日本は戦争に負けたけど、日本語までは失わなかった。これは本当にラッキーなことだったんだ」
(続く)
by west2723 | 2010-06-05 00:56 | ホクレア

日めくりカレンダー

このところTwitterにうつつを抜かしていると思われているようですが、一日に一回、欠かさずここにも巡回してますよ。ところで日めくりカレンダー、今になってとんだ間違いに気づき、イチからやり直してます。早くしなくてはいけない。もう〈ホクレア〉は熊本に着いちゃったよ。

ところで西村一広さんのブログが、「熊本の打瀬船が〈ホクレア〉と同じルートを辿って東京湾まで向かう」という情報を伝えています。途中、広島県・鞆の浦で何らかのイベントがあるかも、とのことですが、僕は行けるかどうか、今は微妙なところ。
by west2723 | 2010-05-13 17:20 | ホクレア

今日は〈ホクレア〉沖縄到着記念日

みんな忘れちゃいないだろうね!
3年前のちょうど今頃、沖縄本島沖の水平線上に〈ホクレア〉と〈カマヘレ〉のマストが見えてきたのだった。それにしても、あの日に較べて今日は寒いね!

ネット関係の新たな展開、妄想ばかり膨らんでますが、非常にゆっくり、ささやかに進んでいます。
相変わらず、できるだけコンピュータから離れ、長時間の読書も避けるようにしてますが、
今日は一日中こうしてMacの前に座ってました。だって、外は冷たい雨だったし。
by west2723 | 2010-04-23 17:33 | ホクレア