ホクレア・デイズ

このブログの4月〜6月あたりを読み返してみたら、やっぱり面白いね。なんて、決して自分のブログを褒めているわけではなくて、あの頃は奇蹟のような毎日だったんだなぁ、と、改めて思い出してしまったわけです。やはり、記録に残しておくというのは大切なことだと思う。あれほど期待していた日本航海、危険であるとはさんざん聞かされていたので、沖縄に到着して以降の緊張感は未だ僕のカラダからは抜けません。がしかし、始まってしまえば雑誌編集者に海の上で手伝えることなどあろうはずもなく、航海の無事を日本の海のプロに任せる以外にありませんでした。

緊張の中にも、西村一広さんの穏やかな表情を見ている限り大丈夫なんだろうと思った。関門海峡から写メールを送ってくれる余裕、驚いたね。西村さんが〈ホクレア〉を安全に次の寄港地へ届けることに集中しているならば、一方の内田正洋さんは、クルーの生活や待遇を気遣っている印象。何たってすべては海の上で進行しているのだから、陸上からいろいろ言ったところで何の役にも立たない。だからこそ、〈ホクレア〉が無事に寄港地に現れる姿はカッコ良かった。無事に海を渡るということは、陸から見ればそれだけで神業であり、それを毎回、僕たちは寄港地で目撃していたのだ。
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僕にとって忘れられないシーンは、沖縄本島の沖にホントにやって来た〈ホクレア〉と〈カマヘレ〉を見つけた時。そして、そのまま8時間ほどエスコートしながら真っ暗闇の糸満港までやって来て、港に用意された照明に〈ホクレア〉の神秘的な姿が浮かび上がった時(ちなみにあの照明、もともと港には用意されていなかったため、内田正洋さんが急遽近くの自販機から電源を取って用意したものらしい)。あの姿を見た時、なぜか僕は「この船、ホントに〈ホクレア〉だったんじゃん」などと、奇妙なことを言ったような気がする。

そして七里ヶ浜の沖で聞いた〈ハカ・ホクレア〉。あれを聞きながら、僕は〈ホクレア〉が長年追うに値する存在だと確信した。そして最後に、伴走艇に乗りながら〈ホクレア〉と共に眺めた広い横浜港。子どもの頃から幾度となく通った山下公園を、海から見るのは初めてのことだった。ぷかり桟橋は、まだはるか遠くに見えた。先導するヤンマーのボートの到着が遅れ、ベイブリッジを潜ってから港の上でしばらく待機していた、とても静かで、そして幸せな時間。その後、曳航索を外してセイルを動かしながら再び自力で進み始めた〈ホクレア〉は、大きな蝶のようでもあったな。
by west2723 | 2007-09-16 01:04 | ホクレア


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