そもそも〈ホクレア〉は、なぜ日本に来たのだろう? その2

話が長くなるので結論から言ってしまうと、〈ホクレア〉が来た理由はこれからわかればいいと思っている。〈ホクレア〉が帰った後に、あなたの、そしてあなたの回りの、あるいは寄港地の、日本の海文化の、何かが変わり始める。このイベントは、そのような性質のものなのだろう。今や〈ホクレア〉の到着予定日など誰も信じなくなったと同様、〈ホクレア〉のやることに過剰な期待もしない。すべては自分への課題なのだ。そしてあのカヌーを追えば追うほど、何か良い変化が自分の中に起きるような予感がする。だからみんな追いかける。ただし予測は不可能。今はそれでいいと思う。

思えば不思議な話だよね。彼らは日本で何かコトを構えようというわけでもなく、星を見ながら風に乗ってやって来て、時には曳航されながら日本を数カ所旅すると言うだけのことなのに、なぜこれほど多くのフンベツあるオトナが慌ててしまうのか。

太平洋の各地でカヌー・ルネサンスを引き起こした、なんて、今でも知っている人の方が少ないと思うけど、それでも〈ホクレア〉を見た人は一様に、なんらかの懐かしさを感じることが多いようだ。「そう言えばオレのじいちゃんも、ウエイトつけずに5メーター潜ってさぁ、海底を歩きながらサザエ捕っていたらしいよ」「昔はこのあたりにも、手こぎの漁船は多かったけどね、よくまあそんな船で漁に出たよね」なんて、海の近くの街で〈ホクレア〉の話をするたびに、そんな昔話を聞かせてもらうことが多くなってきた。「昔の人は、凄かったよねぇ……で、その〈ホクレア〉って船は、風だけでハワイから来るんだろ? それもまた、凄いよねぇ……呆れたもんだ」

〈ホクレア〉は行く先々で、埋もれた話を掘り起こす耕耘機か、あるいは砕氷船のようなものだ。
「他の島ではルネサンスやったんだからさぁ、日本でも何かこう、日本らしいカヌー・ルネサンスみたいなこと始めなきゃ、まずいんじゃないの?」
なんて慌てる必要はなく、〈ホクレア〉の立ち寄る寄港地では、もう静かにルネサンスが始まっているように思える。休日を使って〈ホクレア〉に体験搭乗したご家族が、家に帰ってからおじいさんの昔話を聞きたくなる。それだって立派なカヌー・ルネサンスなのだ。

熊本では古代船海王、広島では打瀬船。そんな、最近の日本ではほとんど誰も気に留めなかったようなものが、〈ホクレア〉が出向くことによって掘り起こされ、光が当たり、ひとつにまとまり、大きな意味を持って何かを語り始める。オレたちの国って、けっこう海っぽい、ハワイみたい、という逆輸入型の再認識もあるかもしれない。そして、世界がどう動こうとも、オレたちは海に守られているという安堵感を覚える。やはりナイノアの言う通りだった。One Ocean,One People。ハワイにあって、日本に無いものなんてほとんど無い。無いものは、航海カヌーだけだ。(続く)
by west2723 | 2007-05-07 16:43 | ホクレア


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