My name Is Buddy / Ry Cooder

My name Is Buddy / Ry Cooder_c0090571_1144485.jpgRy Cooderが新譜を出していたなんて知らなかった。しかも全編に渡ってデビューアルバムの頃のようなダストボウル・ミュージック(つまり、砂嵐の中の中西部で生まれた音楽ってことかな)で、おいおい、ライ・クーダーってこういう演奏やめたんじゃなかったっけ、と、聴きながら嬉しい混乱を感じてしまった。いずれもノスタルジックな演奏ながら、全17曲中15曲がオリジナルだというんだから驚く。帰ってきたライ・クーダーって感じだ。



広いアメリカ中を旅して回っていた赤いネコの〈Buddy〉が、バンクーバーのとある空き地に置かれたスーツケースの中で静かに息を引き取っていた、という新聞のベタ記事を読んだライ・クーダーは、「このネコが赤かったのは、今のアメリカにはいなくなった『組合員』だったからに違いない」という物語を思いつく。以降、この赤いネコは、旅の途中でストライキや農場の不作や不遜な権力者や不遇のトラックドライバーに出会うという物語が生まれ、そんな物語のひとつひとつが曲となってアルバムが展開して行くという仕掛け。

もちろんライ・クーダー自身は熱心な組合運動家でも特定の政党支持者でもない。しかし時代の波から消えて行くものにただならぬ愛着を寄せるうち、『労働者』や『組合員』も惜しまれる対象となっていったのだろう。そこで当時の演奏形態と共に再現を試みたというわけ。たしかにデビュー当時のライ・クーダーは、ウディ・ガスリーに代表されるアメリカの古いフォークソングを好んで演奏しており、その当時のフォークが労働運動と結びつくことは多かった。そんな曲をコピーしながら、彼は砂嵐の中で働く労働者たちの姿を思い描いていたに違いない。そこにはきっと"連帯"があってコミュニティがあって、労働歌があって、気の利かない役人がいて、ホーボーがいて、そしておそらく「まじめに生きよう」と言う以外に、何もできない牧師がいる。

しかし今のアメリカにはトラックドライバーや葬儀屋やレストラン店員やファンドマネジャーやIT長者はいても、労働者なんていないというわけ。合理主義やら競争社会が当然と思われているアメリカにも、このような発想をする人がいるんですね。とは言え、日本の全共闘世代の人たちが「あの頃のオレたちは」と懐かしがっているのとはかなり違う。もっとセピア色の、プリミティブな労働者であり労働組合。日本で言えば、そうだなぁ……ちょうどクレージー・キャッツと高度経済成長期を重ね合わせて懐かしく思うような感覚かもしれない。ということで赤いネコの旅、とてもココロ暖まる物語です。こういう音楽CDの作り方があったのか、と、とても納得してしまう1枚です。強くお薦め!
by west2723 | 2007-03-30 12:19 | 音楽


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