関門海峡

おそらくほとんどの日本人は、日々、関門海峡のことなど考えずに暮らしているに違いない。当たり前だよね。このご時世、ほかに考えなくてはならないことはたくさんある。しかし僕の場合、〈ホクレア〉が来てから関門海峡のことが気になって気になってしかたなかったのだ。筋トレのページを作っている時も、化粧品の広告のプレゼンに行く時も、そして会社を辞めようという時も、いつもココロのどこかに関門海峡があった。だからヒマになったら、真っ先にここに来ようと思っていたのだ。

そしてついにやって来た。あいにくの雨で写真はボンヤリしているけど、どうですか、この狭さ。これは海というよりも、川でしょう。しかも山の上からでも、潮の流れがはっきりと見える。手前が本州で対岸が九州。目の前で見た印象では、多摩川の河口よりも全然狭いんだけど、こんなところをバカでかいコンテナ船どうしが荷物を満載してすれ違ったりするのだ。潮の干満があり、海の深さが変わるから、時間帯によって通過できる船が制限される。大きな船が通過できるチャンスは一日に二回。満潮の、潮止まりの時間に合わせて、祈るようにここを通過しなくてはならない。
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これは神様の恵みなのかイタズラなのか、本州と九州という大きな島の間に、キチンと運河を掘っておいてくれた。だったらなぜもう少し広く作っておいてくれなかったんだろう。結果的に、これが外敵から日本を守ることになった。僕にとって、こういうことが不思議でならないのだ。

そして〈ホクレア〉もここを通った。ハワイから航海機器を一切持たずにやって来た海のツワモノたちも、さすがにこの海峡を前にビビってしまい、こんな時にキャプテンじゃなくてよかった、と思ったらしい。こういう海が日本列島人を鍛えてきたのだ。凄いだろ。安全快適な陸上交通に頼りすぎて、日本列島人自身が忘れていたワレワレの凄さを、ハワイの人たちが教えてくれたのだった。「海から陸を見ると、この国の美しさがわかるよ」
ここを水先案内したのが、ご存じ西村一広さん。しかしカズさんは〈ホクレア〉を曳航しながら、余裕で写メールを送ってくれたもんだった。
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写真手前の海が、あの有名な壇ノ浦。そして宮本武蔵が佐々木小次郎と決闘する時も、ここから引き潮に乗って巌流島に向かった。日本の歴史の転回点にはたびたび登場する海峡なので、それを物語る碑も多く、歩いてて退屈しないんだけど、やはり目立ったのは長州軍の大砲だった。そう、海援隊の応援を受けて幕府軍を小倉で粉砕したのはこの海峡なのだ。今でも大砲の向こうを大型船が通ると一発ブッ放したくなるけれど、もちろんそんなことを考えてはいけません。

この海峡を、僕は日が暮れるまで眺めてしまったのだった。そして下関を発つ朝も、もう一度ここに来てしまった。僕は「鉄オタ」ならぬ「海峡オタ」あるいは「船オタ」なのかな。でも、「鉄」を自認するようなヤツだったら、ここには一度来た方がいいと思った。ぜったいに気に入るはずだよ。目の前をデカい船が通る姿って、ホントに壮観だから。
by west2723 | 2010-06-29 07:50 | 陸での話


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