沖家室(おきかむろ)島〜天国に少し近い島

〈ホクレア〉を率いる伝統航海術師、ナイノア・トンプソンを最初に海に連れ出したのは、カワノ・ヨシオという日系移民の牛乳配達員だった。
毎朝トンプソン家に牛乳を届けていたカワノ氏は、多忙だった両親の代わりに、たびたびナイノア少年を海に連れ出し、船の漕ぎ方や魚釣りを始めとする、海での過ごし方、海との接し方を教えた。さらに少年は、カワノ氏の生活を眺めながら、自然とうまく調和する日系人たちのライフスタイルにも強い感銘を受けて行ったと言う。
「風通しのいい日本家屋、自然の色彩に逆らわない調度品のひとつひとつ、枕のカタチひとつにさえも、僕はいつも驚いていた。そんなヨシの家に遊びに行くことが、僕にとっての大きな楽しみになっていたし、その後の僕の人生に大きな影響を与えたことは間違いないと思う」

いよいよ〈ホクレア〉が日本にやって来ることになり、当然のようにナイノアはヨシの故郷を訪ねたいと思うようになる。しかし困ったことに、カワノ氏のご先祖の出身地が誰にもわからなかったのだ。どうやら山口県の出身らしいということまではわかっていたものの、広い山口県のどこなのか、それが〈ホクレア〉を巡る最大の謎となっていた。周防大島にあるハワイ移民資料館の名簿の中にも、その名前は無い。
しかし、ハワイに多くの日系移民を輩出した周防大島の人たちが、島の誇りにかけて調査を開始。膨大な資料の中から、牛乳配達員、カワノ・ヨシオの名前を発見したのは、〈ホクレア〉がすでにハワイを出港した後だった。その出身地は、周防大島の南に接する小さい島、沖家室島だという。
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前日とは打って変わって快晴となった周防大島を、テレビ新広島の「サンフレッチェ兼ハワイ担当」カメラマン氏が案内してくれた。大島から沖家室に至る細い道は広葉樹林に包まれており、まるでマウイのハナハイウエイのようだ。島では完成が悲願だったという橋を渡ると、「あれまぁ、こんなに小さいんだ!」と言わずにいられないほど小さな島だった。写真の右奥は周防大島。沖家室の集落は、写真に写っている場所がすべてだ。
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このあたりの海は、瀬戸内海でも屈指の鯛の漁場なのだという。釣り方は非常にユニークで、竿を使わずに、家室針と呼ばれる独特の釣り針を糸につけ、糸を直接手で持って一本釣り。この針と、家室針を作る道具が宮本常一資料館にまるで過去の骨董品のように展示されている。しかし、これを作る松本老人は今なおご健在なのだ。今回お会いした時にも背筋は伸び、肌のツヤも良くて非常にお元気だった。工房にお邪魔すると、資料館にあるのと同じ工具が今なお現役で使われていた。中には電気機器を修理するような機械も積まれていたが「これはフネを修理する時に使うんよ。まぁ、このあたりのフネのことはぁ、何でもわかるけぇのう」
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「ハワイの船の船長さんの家が火事になったじゃろ? で、あの後、誰かがここを訪ねて来たんよ。あの時いただいた針が火事で焼けてしもうたんで、また新しいの作ってくれんか言うての。で作って、木の箱に入れて差し上げたんだが、そのままさっぱり返事がないんじゃ。どうなったんかのう。きちんと届いたかどうかわからんのですよ」
誰がここに来て、ナイノアにはどのように届けたのかはわからないけど、届けた人はキチンと松本さんに報告しておかないと、それは〈ホクレア〉の恥になると思うよ。
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港の堤防は、自然石を積んだもので、これを見ることのできる港は瀬戸内でも数少ないという。家室針といい、この堤防といい、島全体がまるで文化財のようだ。集落には商店が無く、日用品はクルマが巡回しながら売りに来るという方式。目の前の海からは充分な海の恵み。平和に暮らして行く上での過不足は無い。島にはご老人ばかりだけど、誰もが満ち足りた表情を浮かべている。年金制度がうまく機能している、と言ってしまえばそれまでだけど、東京あたりで孤独に暮らす老人たちに較べて、この違いはいったいどこから来るんだろう、と、考えずにはいられない島の風景だった。
by west2723 | 2010-06-01 12:53 | 海での話


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