広島平和記念資料館〜その2〜広島完結編

8月でもないのに、もう年末だというのに、なぜこんなに原爆のことばかり考えているんだろう?
とは思いながらも、これは本来、時期を問うテーマでもないはずだし、一度考え始まると止まらない性格なので、これを最後に、もう一度まとめておきます。

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広島の平和記念資料館は、チェ・ゲバラやマザー・テレサ、最近ではブルース・スプリングスティーンなどなど、世界中の非常に多くの人に影響を与えた資料館であり、先日も日本に初めてやって来た新任のアメリカ大使が、着任早々この資料館を訪れ、かなりの衝撃を受けていた。そのような場所となると僕も入る前から緊張してしまうけれど、このために広島まで来たのだ。とにかく扉を開こう。

入ってまず最初に、入館料に驚いた。これほどの展示内容がありながら、大人ひとり、たったの50円だもんなぁ。ひとりでも多くの人に見てもらうために、このような料金になったのだと理解した。



展示はまず広島の街の成り立ちから始まり、昭和に入って「軍都」として成長するようすを紹介。そしてあの瞬間を迎える。原爆投下の目標都市には、新潟や横浜も入っていた。しかし捕虜収容所が無いなどの理由により、広島に決まったという。戦場からは遠く離れた国の安全な会議場で、まるで設計図に線でも描くかのように冷徹に、このような恐ろしい決定が下されたわけだ。

展示の順路を追って説明すると長くなるので省略するけど、何よりも最初に展示のわかりやすさが印象に残った。内容がスルスルと頭に入ってくる。その理由は、被害に遭った一般の人々が、その直前までどのような暮らしをしていて、その瞬間に何か起こったのか、それを伝えるために多くのスペースを割いているからではないかと思う。政治家や評論家が机上で語る「核問題」ではなく、あくまでも市民の目線で貫かれた核の怖さ。やがて、否応なしに、これほど恐ろしい殺戮が、自分や、家族や、友人たちの身の上に起こることを想像してしまう。だからこそわかりやすいのだ。

被爆の惨状を具体的に知ることなく、単に資料や文献を漁りながら「国際政治の枠組み」の中で戦争や核兵器を語ってしまうと、論理的には必要悪として認められてしまうことがある。「原爆は戦争を終結させるためにやむを得ない手段だった」という論理がその典型的な例だ。だったら作戦を立案する人物や、原爆をその手で投下するパイロットの家族が、ターゲットとなる街に住んでいたらどうだろう? その後、家族の身に何が起こるのかを教えてくれるのが、世界に類を見ないこの資料館なのだ。だからこそ、政治家や、世論に影響を与える評論家はもちろん、すべての人々は、ここを訪れる必要がある。

今になって初めて広島を訪れた僕が言うのもナンだけど、この日以降、この展示を見たことのない人物が語る戦争や核問題など空疎で聞いていられなくなるだろうなぁ、と思ってしまったのだ。

順路は本館に入り、いよいよこの資料館の核心と思われる遺品の展示に移る。そのひとつひとつについて、ここで僕が余計な解説を入れることは控えたい。とにかく見てください。

ただ一つ伝えておきたいことは、一般の市民の方の被害に焦点を合わせ、その遺品を展示した資料館と、大切な遺品を提供してくれた遺族の方々に対する感謝の気持ちだ。こうして長年に渡って展示されていると当たり前のことに思えてくるけれど、これを展示しようと決めた当初は大変な勇気が必要だったのではないかと思う。しかし、その勇気によって、世界中のどの文献にも書かれていない、ナマの被爆地の姿を伝えることができたのだ。

焼けこげた衣服には、とても小さい木綿の子ども服が目立っていた。そして、その展示の解説には、その日、その子は、その服を着て何をしに、どこへ行き、どこで被害に遭い、その後どのように家族の元へ帰り着き、何日度、どのように亡くなったのかが記されている。

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初めて原子爆弾が使われて、すでに60年以上が経過している。その間には多くの反戦、反核運動があり、一方でこのような資料館が設立、運営されて、それぞれに長い歴史を作り上げてきている。そこには多くの人が関わり、賛成派も反対派もそれぞれが組織となって、今日を支えているのだろう。だからこそ、彼らに対する敬意と共に、僕はこれ以上、ポッと出の観光客としてはこのテーマに直接は言及しないつもりだ。〈ホクレア〉の若いクルーが元安川の遡上を遠慮したように、後は自分の生活する場所でこのテーマを活かして行きたいと思う。見ておいてよかった。それだけでいいのだ。

この展示を見ていると、このような爆弾を落とした相手が憎くなることがある。「アメリカの野郎、世界中で勝手なことしやがって、もう許せねぇ」ってわけです。特に展示の前半を見ている間は、そんな気分になることもある。しかし、後半の遺品の数々を見ていると、そんな気分はすっかり失せてしまうはずだ。「もう、相手が誰であれこんなことをしてはいけないのだ」と思い始める。「憎しみの連鎖」という言葉をよく聞くけど、展示された遺品の数々が訴える最大のテーマは「この展示を見た今こそ、その連鎖を断ち切ってください」ということなのではないか。

やはり「ゴメンナサイ」なのだ。原爆ドームを初めて見た時に、なぜか浮かんだ「ゴメンナサイ」という言葉は、あくまでも個人として戦争反対を訴えたい時に有効なのではないかと思う。子どもであれば「ゴメンナサイ、もうしません」となる。オトナであれば、謝罪の後には償いがあり、さらには反省と共に、二度と繰り返さないという誓いがある。

自分が起こした戦争でもなければ、原爆を落としたのは自分ではない。しかし、それでも「ゴメンナサイ」と思うことによって、自分の中での個人的な戦争反対運動は完成する。そんなことを思いながら、資料館を出て、戦没者慰霊碑に向かって歩き、石碑に刻まれた言葉の意味を本当に深く理解することができた。「過ちは二度と繰り返しませんから」。これはまさに「ゴメンナサイ」という言葉にも繋がる言葉じゃないか、と、僕は確信した。
by west2723 | 2009-12-23 11:59 | 陸での話


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