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このところ花鳥風月に対してセンシティブになってしまった、という話は以前書きましたが、最近特に気になっているのが夜の雲です。機会があればぜひ眺めてみてください。雲の量としては空全体の3割くらいがベストコンディションかな? できれば綿雲のような、のどかに浮かんだヤツがいいです。で、夜の雲ってけっこう光って見えるんですね。これまでは気にもとめたことがなかったけど、モノトーンのデザインはかくあるべし、というような展開が次々に現れて、まったく飽きないわけです。そのかわり、長時間眺めているのは寒くてタイヘンですね。
なぜ光るのかというと、きっと街の灯りを反射しているからだと思う。そう。だからこれは都会にいなくては見ることのできない現象なのかもしれない。かつ、見上げる場所は暗くなくてはいけない。これは照明の近くから星が見にくいのと同じ理屈。となると場所はかなり限定される。その点で、僕の住んでいる隅田川っ縁というのはちょうどいいんです。川幅はかなりあるし、街灯は少ないので夜は真っ暗。写真に撮りたいところだけど、月光写真を撮るくらいの装備が必要になりそうなので、今のところは諦めています。 今日もついさっきまで眺めていたらこんな時間になってしまった。けっこう挙動不審ですね。そのうちに職務質問されちゃいそうだ。 僕はあんまりテレビというものを観ないけど(観始めると何もせず、あっという間に1日が経っちゃうからで、決してカッコつけているわけじゃありません)、最近は政治がらみの話題が多く、観ておかないとまずい話題もあるので、ついテレビの前に長居してしまう。今回の内閣ってどこか「生徒会」のような印象があるけど、まとにかく、大臣というのは忙しいんだなぁ、と思う。僕にはとても務まりません。なんて、誰にも頼まれないだろうけどね。
だからこそ彼ら新閣僚の行く先々で、これまで見えなかった多くの問題が明らかになる。明らかになるだけでも大きな進歩だと思う。結果については別の評価が下るんだろうけど、今のところはいい感じですね。そう言えばアメリカの大統領も若手ビジネスマンのような印象だった。何たって、飛行機のタラップを駆け足で上っちゃうだけでも好感度アップというものだ。まとにかく、あれだけ大げさな選挙の末に念願の立場に就いたわけだから、大いに働いてもらいましょう。 とは言え今回は、政治の話ではありません。むしろこのブログではできるだけ政治の話はせずに、右の人にも左の人にも民主のヒトにも自民のヒトにも共産のヒトにも、誰にでも読んでいただける内容にしたいと思っています。で、今回は久々に〈ホクレア〉の話。政治と〈ホクレア〉について、ふと思ったことについて聞いてもらおうという次第です。 ![]() だってそうでしょう? ハワイから航海機器を何も持たずに日本までやって来たというカヌーを港に見に行きたいと言う気持ちには、民主も自民も関係ない。右も左も無い。自動車会社の人にも自衛官の中にも見に行きたい人はいるだろうし、エコな人たちも森ガールたちも見に行きたいだろうし、反原発の人だけではなく電力会社勤務の人が見に行きたいと思ったって大歓迎だ。〈ホクレア〉の前では誰もが平等。まずは〈ホクレア〉を見て、みんなが何かを思えばそれでいいのだ。 〈ホクレア〉は、ただいつもの方法で日本にやってきただけだ。そこに主張があるとすれば、「人には丸腰のまま、カヌーで太平洋を渡ってしまう知恵が備わっている」ということ。そして「その能力を引き出すためには、カヌーの上は常に平和でなくてはならない」ということ。そして「クルーの一人一人が、全員に対して自分にできる最大限の貢献をするということ」、そして「クルーの一人一人が全員から必要とされていること」 そのような〈ホクレア〉が、仮に「ワタシは◯◯党を支持します」なんて立場に回ってしまったら、その瞬間からみんな夢から覚めちゃうんじゃないだろうか。もちろんこれからも、そんなことには絶対にならない。〈ホクレア〉は、あくまでも現代流の伝統航海術を実践するカヌーに過ぎないのだ。だからこそ〈ホクレア〉なのだ。それ以上の意義は、周りで観ていた僕たちが思い思いに解釈すればいい。なんてことを、「政治の季節」にふと思った次第。これからも、あの無防備な〈ホクレア〉やクルーが、政治的なことに、政治のからむ無粋な話に、巻き込まれて行かないことを願うばかりです。 北風が吹くと寒くなり、南風だと暖かくなるという、天気予報の基本がそのまま体感できる二日間でした。海の上にでもいるような風の変化をこうして陸上で意識してみると、ワレワレは地球という大きな手のひらの上で転げ回っているだけだということがわかります。大丈夫。すべてはうまく行く。
夕方、風が止んだ後、外のようすがいつもと違うような気がして窓を開けてみると、壮絶な夕焼けだった。もちろんカメラを持って外に出たけれど、その時には夕日の色も変わってしまっていた。 「夕方の光を撮るチャンスは一瞬ですよ」と語るニック加藤さんの、「素早い」撮影を思い出した。 大阪の南港で逮捕された容疑者のことを考えていた。
取り返しのつかない犯行が事実であれば、報いを受けるのは当然だと思う。しかし今回はなぜか、長い逃亡生活と、そのあげくに待っているフェリー乗り場での逮捕劇(フェリー乗り場って、さびしい場所が多いんだ)とは、本人にとっていかなるものだったのか、つい想像してしまったのだ。もしかすると、彼にとって、これ以上逃げなくてもいいという安堵の逮捕だったかもしれない。 人が人を排除し合う世の中はイヤだ。私と他人、自分たちとその他の人たち。誰もが安全な場所を奪い合いながら、その他の人たちを排除しながら自分を守る。心の寒さという意味では、塀の内側と外側にそれほどの違いは無い。誰でも逃亡者のようなものだ。しかし、誰もそのようなことなど気にも留めない。ホンモノの犯罪者を捕まえては、大メディアを総動員して完膚無きまでに叩きつぶす。そうすることによって、「私」を守る。 もちろん僕は犯罪者を弁護しているのではない。彼は重大な犯罪の容疑者であり、まずは何より被害者の心の痛みを想像しなくてはならない。しかし、犯罪者を裁くのは「私たち」ではない。 こんな世の中だからこそ、気を確かに持たなくてはいけない。犯罪者は決して特別な人たちではなくて、つい昨日まで「私たち」の隣にいた、ごく普通の人たちであることを忘れてはいけないと思う。だからこそ人は排除し合うのではなく、お互いに繋がった存在でなくてはいけない。じゃないと、このような異様な犯罪は、いつまで経っても無くならないと思うよ。 このところ、月がキレイだと思いませんか? 秋だからかな。
で、さっき、ジムの帰りに空を見上げたら、雲ひとつない夜空にレモンのような下弦の月が浮かんでいました。 あまりに美しかったので、紙パックの日本酒を買って来て、沖縄名物「マグロジャーキー」を部屋から持ち出して、隅田川沿いのベンチで眺めていたらすっかりカラダが冷えてしまった。 傍目に見るとアヤシいオヤジそのものだったと思いますが、いいじゃありませんか。 今日は立冬ということで、いよいよ年末に向かいます。皆さん、カゼには注意しましょう。今年のカゼは、シャレになりません。 前回の文章で長々と書いたけど、僕が最も環境に望むものは新鮮な酸素なのだろうと思う。そのためには森が必要で、海にはサンゴが欠かせない。Uddahさんの話によると、沿岸の藻類だってバカにならず、海の砂漠化を食い止めなくてはならないらしい。ご存じの通り、彼らはいずれもCO2を吸収して酸素を排出してくれるので、結果としてCO2削減と同じことを言っているんだけど、「CO2が多すぎる」と言われるよりも「酸素が足りない」と言われた方が、より切実な感じがするでしょう?
いずれにしても、新鮮な酸素を作り出してくれる海や森を始めとする自然は、目に美しいものばかりだ。生命を守ってくれる自然が美しく見えるのは、きっと生き物としての本能なのだろう。だからこそ、コンクリートの大きな建物やプラスチックの小さなゴミなど、自然の景観から浮いたもの、自然の中にあって美しく思えない人工物などは、何らかのカタチで生態系を脅かすものだと直感できる。環境を考えるにあたり、このあたりの美醜を見分けるセンスは意外に大切なのかもしれない。 ところで僕が子どもの頃、「環境」や「地球」という言葉は今のような使われ方をしていなかったように思う。どちらかというと「自然」という言葉の方が一般的だった。たとえば山登りで山頂に立ったおじいさんは、深呼吸をしながら「やはり自然はいいなぁ」と言っていたけど、「やはり地球はいいなぁ」とは決して言わなかった。その後に「やはり自然は大切にしないとな」という言葉が続くことはあっても、「地球を大切に」とか「環境を守ろう」だなどと大それたことは言わなかった。 それがいつ頃から、なぜ、恥ずかしくもなく使われるようになったのか? その頃の時代背景と、使い始めた人々、彼らが使い始めた理由を知ることによって、今の環境問題が抱える問題(何だか複雑な言い方だな)を解き明かすヒントになるように思う。いったいいつ頃なのだろう。少なくとも、アポロが撮った地球の写真以降の話だろうけど。 ご無沙汰してました。前回、続きはすぐに書くようなことを言いながら、もう2週間以上経っていました。速い。このところ、時間の経つのが速くて、そんなに急いでいったい何を目指しているんだ、と思うことがある。そしてこの間、2日おきくらいに都内で用事があるので旅に出ることもできず、時間をみつけては本ばかり読んでいました。こういう時って、なぜか文章が書けなくなるもんです。僕にとって読む=ブレーキ、であるならば、書く=アクセルであり、両方同時にできないってわけです。そんな日々も一段落し、このブログを覗いてみると、そうだった、地球温暖化の話なんだった。
僕は日頃から、「エコ」な人たちが唱えていることが、どうにも問題を「芯」で捕らえていないような気がしてならないのだ。みんないいヤツだし、決して間違ったことを言っているわけではないけれど、話が枝葉末節に陥ることが多く、必ず居心地が悪くなる。そのポイントや基本的な疑問を列挙すると以下の通りだ。最初に結論から言ってしまえば、CO2だけを相手にしている間に、もっと重大な問題を見落としてしまうのではないか、ということ。 以下の話は自分でもけっこうムチャを言っていると思いますが、このブログに集まってくれている人たちからもキモチのいい反論を聞いてみたいと思っています。このテーマはゆっくり進めます。 続きはここをクリック
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